会員インタビュー 量子人材の育成には多様性と流動性を
一般社団法人 量子ICTフォーラム 副代表理事 根本 香絵
新しい神話
ムーアの法則が成立しなくなったと言われて久しい。ところが、トランジスタを増やし性能が指数関数的に向上するという、この半世紀以上に渡って信じられてきた神話が、古典コンピュータの世界で終焉するのと入れ替わるように、いま量子コンピュータの世界に場所を変えて再創造されようとしている。最近では、既にムーアの法則を超えたとか、量子ビット数の増加や計算のエラー率の低下によって、量子コンピュータの性能は二重指数関数的に成長するという「ネーブンの法則」という新しい神話まで紡がれている。
2020年は量子コンピュータの利用元年と呼ばれている。象徴的なのはIBMの量子コンピュータIBM Qのリソースを使えるIBM Q Experienceの登録者が約24万人に達したことからも見て取れる(2020年7月現在)。また、クラウドの両雄AmazonとMicrosoftが共にAmazon Braket、Azure Quantumというクラウドサービスを各自展開するニュースも世界を駆け巡った。様々な量子デバイスを統合スタック経由で利用可能にするものとして、今まで量子コンピュータを導入できなかった一般企業も、量子ICTに触れることができる時代が到来する。
しかし、量子ICTの世界は深遠にして広大だ。廬山の真面目さながら、全貌を捉えることさえままならない。今やっと山の頂が見え、ひとまず目指す頂上が分かったにすぎないことを思えば、ムーアの法則が量子ICTでも再現されていくのかはわからない。しかし、世界中で無数の参入者が相次いでいる今日の過熱に、確かな手応えを感じる者は多いだろう。
量子ICTフォーラム副代表理事、根本香絵(国立情報学研究所、以下NII)もまた、その一人だ。根本といえば、今日の過熱に至る芽を育んだキーパーソンとして名高い。
(取材・構成:加藤俊 / 撮影:寺尾公郊)
量子ICTの第1世代
それは、2014年6月、アメリカサンセホのコンベションセンターで開催されたCLEO (Conference on Lasers and Electro-Optics)の量子セッションでのこと。CLEOは毎年50以上の国から、5,000人近い専門研究者が集まる、世界屈指の国際フォーラムだ。Plenary Sessionでは、各分野で多大な貢献をした研究者によるトークセッションがあり、大きなホール一つが数百人の聴衆で埋められるほどの人気を博す。
その日、後にGoogleの量子コンピュータを作るジョン・マルティニスと根本の講演が重なった。セッションはマルティニスのトークが先で、根本が後だった。マルティニスは実証実験によって量子コンピュータの実現が見えてきたことを、根本はアーキテクチャを中心とした量子の状態制御から誤り訂正理論まで、様々な技術要素を結集した研究開発という理論的アプローチから、量子コンピュータの実現を説いた。それは量子コンピュータの発展にとって、ボトムアップの実証実験とトップダウンの理論が始めて揃った、実にエポックメイキングな瞬間だった。根本をはじめ聴衆の多くが、「これは行ける」という手応えを掴んだという。そこから6年。量子ICTを取り巻く環境は劇的に変化した。
物理学者リチャード・ファインマンやデイヴィッド・ドイッチュによって、量子コンピュータが理論的に定式化されたのが1980年代半ば。数学者ピーター・ショアが、巨大な数を素因数分解する量子アルゴリズムを発見し、思考実験に留まっていていたものが、現実味を帯びるようになったのが1994年。その頃を境に、量子の性質がICTに活用できる可能性が見え、海外での研究が盛んになっていく。同時期、日本からも若手研究者として海外に渡った者がいた。根本たち日本の量子ICTの第1世代だ。人数にして10名前後。そこから日本の量子ICTは始まった。主だった物理学者たちは、ハードウエアの分野で成果を上げていく一方、根本が所属するNII量子情報国際研究センターは、ハードとソフトの融合という観点で研究を進めていく。
量子ICTの融合性
黎明期から量子ICTはテンポ、動き、発展が非常に速い学問だった。研究のブレークスルーが、1日のうちにインターネットで世界中を駆け巡る。その度に研究者たちは仲間の成果を喜び、時には先を越されたと地団駄を踏んだという。ただ、当時は現在のように米中欧の大国がぶつかり合うパワーゲームといった様相はなかった。国を問わず、国境を越えて、共同研究が進められた。また、物理、数学、ロジック、コンピューターサイエンスなど、様々な背景の研究者たちがいることも特徴的だ。「量子ICTの歴史は融合の歴史だ」と根本は強調する。
そもそも、量子ICTの成り立ちそのものが異分野の融合体だ。一般のICTの世界では、技術のバックグラウンドが異なるため、コンピューティング、センシング、通信は、それぞれ別分野のものとして考えられる。しかし、量子ICTではそれぞれの技術を融合させることで真価を発揮する。情報の生成、送信、処理が独立したものではない。むしろ、量子センシングが量子通信と融合することで、グローバルセンシングとして大きな力を発揮するなど、融合性が高い。そして、その融合性を促進させ、革新を齎すためのサポートをするのが、量子ICTフォーラムだ。
しかし、このような組織が求められていることは、社会実装を見越した研究開発が数多く生まれてくる段階に入り、本格的な産学連携が必須となった今日の情勢下で、日本のプレゼンスをどう発揮していくのかに大きな課題感があることの裏返しとも言える。事実、量子ICTで日本が長期的に一角を占めていくには、もう待ったなし、だと根本は警鐘を鳴らす。以下は根本とのインタビューのやりとりだ。
根本(以下同):いろいろな意味で最後のチャンスと言えると思う。量子ICTフォーラムは米中欧に日本が伍していくためのプラットフォームとして成長させることが求められる。産学官が揃い、多様なバックグラウンドを持つ人たちの叡智を結集していく。
―なぜ、基礎研究では世界に伍していた日本が、実用化の段階でQKDなどの特定分野を除いて失速してしまったのか?
これは私が個人的に感じていることだが、日本に二度と同じ過ちを繰り返してほしくないためにも言及しておく。日本には魔の川や死の谷、ダーウィンの海といった研究開発から事業化までに聳える三つの有名な障壁の他に、もう一つ大きな障壁があると感じている。「迷いの山」である。基礎研究の段階では量子コンピュータというすごい山があるらしいが、霧に隠れており、どれだけ高いのかも分からないので意外と研究費が付く。ところが、霧が晴れ山の頂上が見えてきて、いざ世界が「行け」となったときに、今度は「本当にあれに登るのか」と躊躇してしまう、という迷いの山だ。GoogleやIBMは一気に行ったのに、日本は逡巡してしまったと思っている。
できない理由はいくらでもある。今もできていないわけであるから、もちろんあるのだ。それでもGoogleなどが前例を作りだすと、心が変わって「自分たちもできる」と思うようになる。しかし、それでは二番煎じどころか、三番、四番、周回遅れのようになってしまう。日本はもう少しそこを考えていくべきだ。
もちろん日本も、2~3年前からアメリカやヨーロッパを追うように、数年遅れで研究開発への投資を進めてきた。でもそれは、IBMが30量子ビットマシンを作ったので、日本でも超伝導の開発をしようという流れである。アメリカをはじめ海外がやっているから日本もやる。そういうシナリオが多い。だからといって、全ての分野で海外と競って、日本が取りにいく必要はないのだが。やはり、日本の強みを生かしていくことだ。そこから市場を取っていくべきだ。
量子ICTフォーラムが考える人材育成
―R&Dの環境もそうだが、量子ICTに携わる人材の絶対的な数が足りてないとも聞く。
量子ICTは社会実装が進む量子鍵配送といったセキュリティ技術から、本当の量子コンピュータ、いわゆる誤り耐性量子コンピュータや量子インターネットのような長期的な研究開発を必要とするものまであり、とかく広大だ。革新的だからこそ長期的かつ持続的な発展が必要となり、だからこそ、人材育成は戦略の大きな要となる。
―国内の研究者は多くて100名ぐらいか。一方、アメリカや中国など、海外では何人ぐらいのイメージか。
中国では1グループ50人いるところもあると聞く。日本とは桁が違い、全体では千の単位で人材を抱えているだろう。ヨーロッパもセンター化すると、100~200人の規模で集めている。そういう意味でも、日本の現状は寂しい。もちろん、ヨーロッパも国単位で日本と比べれば、それほど人数が多くはない。ただ、大きな違いとして、若手の参入や様々な分野からの参入が活性化されている。
翻って、日本が深刻な状況にあるのは、この数年で新しい研究グループが生まれてきたのかを見ると、全然生まれていないことだ。要するに、量子ICTを掲げた大学の研究室の数が少ない。増えていないのだ。日本の大学は、今まで物性だったら次も物性、今まで素粒子だったら次も素粒子というように、伝統的に分野を守る傾向がある。若手が新しい分野に入ってきても、その先のポストがない。そうすると、構造上入りにくい。その状態が続くことで、若手研究者の数が絶対的に足りなくなる。本来、研究してほしいのだが、ポスドクの数が絶対的に足りないのである。
この現状では、行政側からはポスドクの数を増やしても、その後、大学には仕事がないので、どこにも行き場のない人を作っても困るという話になってしまい、解決する方向に向かっていない。
―量子ICTフォーラムでは、この構造的な課題をどう支援していくのか?
日本の量子ICT分野全域に人材の流動性と多様性を根付かせる。産学官全体で人材を育てていく文化を醸成するためのハブとして、量子ICTフォーラムを機能させたい。ヨーロッパが日本の現状ともう一つ異なる点は、人材が流動していることだ。人材が足らなくても、若手人材も中堅も流動している。日本の現状は人材を囲い込むタコツボ構造に陥っており、優秀な人材が新しいスキルを学ぶチャンスに恵まれていない。
ある研究コミュニティーで育った人が次にどこかへ行って活躍する。新しい環境で別のことを学び、身につけて、また次へ移ってより大きな活躍をみせる。そういう人材の流動性を醸成していかなければならない。現状では、産業界からは、中堅を過ぎた方が大学へ来ることはあるが、逆はないのである。人材の流動性を発揮し、より自分が活躍できる場へどんどん動いていくことが奨励される風土・文化づくりが、研究コミュニティー、ひいては社会全体で求められる。そのために、まずは囲い込まなくてもやっていけるという安心感を量子ICTフォーラムが中心となって作っていく。
幸いなことに、最近の若い人の中で量子ICTに興味を持ってくれる人の数が増えていることが希望である。やはり海外の情報がインターネットを通してそれなりに入ってくるからだろう。直接入ってこないにしても、Googleで53量子ビットのマシンができたという程度の情報は入ってくる。そうすると、量子ICTが自分たちの将来に大きく関わってくるのではないかと興味を持ってくれる人がたくさん出てくる。こういった将来の人材を取り零さないようにしたい。これは量子ICTフォーラムだからこそできることだと思う。
―それは何故か?
量子ICTフォーラムは、産学官を横断した組織だ。既存の枠組みを取り払って、各会員が所属する団体の論理を超えて、「日本の未来のため」という視座で融合できる。要するに、今までとは違う視点で過去に囚われない新しい方法を考えることが可能な、とても好都合な土壌になり得るのだ。自由に議論し合い、新しい技術をどのように日本で育てていけるのかをいま自分が思っている価値基準ではなく、一度本質に戻って考えてみるチャンスということだ。しがらみをなくし、一からイノベーティブに考えたい。私はそこに希望を見出しているし、そういうことをする時期だと思っている。
―このままいくと、優秀な方々は海外に行ってしまう。
その通り。要するに、研究開発にとって魅力的な日本にならないと、どんどん遅れていってしまう。やる気を持った人たちにアピールする分野であるためには何が必要かと考えていくことに意味がある。それは大学の中の人だけで考えても、あまり実りがない。しかし、量子ICTフォーラムのように産官学が揃った場で考えると、広い視野を持ったアイデアも出てくるという可能性に期待したいし、そうしなければならない。
また、人材育成の対象は若手に限定するべきではない。高齢化社会なのだから、若い人に全てを任せることもない。年齢を問わず、やる気がある人がチャレンジできる仕組みにしないと、研究開発をする人材が枯渇してしまう。また、日本人だけに頼っても無理がある。そういう意味で多様性が必要だ。
昔は日本男児に頼ればよいという発想だったが、それだけでは足りない。もちろん女子も外国人も、色々な方が関わって、初めて必要な研究開発ができてくると思う。新しい挑戦をエンカレッジする体制に早く持っていきたい。
量子人材とは?
―若手でも、シニアでも、と多様性を重要視していることはわかったが、そもそも量子ICTフォーラムが考える「量子人材」とはどういった者を指すのか。よく聞く話として「量子ネイティブ」という言葉もあるが。
理系の様々な分野で量子力学は教えられている。量子ICTが今までと何が違うかというと、量子情報という観点を包含していることだ。今までの量子力学に情報という考え方が織り込まれ、融合した新しいものとなっている。量子力学は変わらないのだが、記述の仕方や概念に情報が融合した形となり、理論として進化している。私たちの世代は、ある意味、外から持ち帰ってきた世代である。そういう新しい考え方は、現在の学部のカリキュラムの中にあまり入ってきていない。量子は習ったはずであるが、いきなり量子ICTをやろうというにはギャップがある。そこで、多分、最初からギャップがない人という意味で、最近量子ネイティブという言葉が活用されているのだと思う。
しかし、海外ではあまり活用されていない。今では量子情報技術とすらあまり言わなくなった。Quantum Science and Technologyとしかいわない。そこまで来た。量子ICTは量子情報技術が当たり前だからだ。日本は、今、やっと量子技術に量子情報を入れないと、となってきているが、だいぶ遅れているのだ。
また、個人的には量子ネイティブという言葉が意味するもので量子人材を説明できるとは思わない。なぜかというと、「ネイティブ」という言葉に、量子の世界だけに特化した限定性を受け取るからだ。海外では、大学院で量子ICTの研究に携わり学位を取ったとしても、必ずしも量子ICTの職に就くわけでもなし、大学に残るわけでもない。
一方日本では、博士、修士といった学位を取ると、かえって将来が狭まるような風潮が見受けられる。アメリカではヘッジファンドなどを扱っている会社のCEOは皆、ドクターを持っている。アウトリーチをやっている方々も結構な数でドクターを持っている。ドクターを持って色々な職に就いている人材が数多くいる。もちろん、自分は数学しかやりたくないという人がいても構わないが、他のこともできるという人も当然必要だ。自分の頭で考えて、困難な課題へのチャレンジを通して、社会に貢献していく人材を育てるのが、博士教育である。
本来「スペシャリスト」と「ジェネラリスト」は相反しない。量子の重ね合わせ状態よろしく、スペシャリストでもありジェネラリストでもある人はいる。もちろん、スペシャリストだけの人や、ジェネラリストだけの人もいて多様である。優秀な知的人材は、難しいことを解決する訓練を受けている人だ。その上で、どのぐらい専門性があることをやりたいのか。むしろジェネラルなことに活躍の道を見出す人もいるし、違う分野で専門的なことをやりたい人もいるだろう。人それぞれであることが多様性である。もう少しそこの考え方を変えないと、人材をうまく活用することができないし、人材の流動性はなかなか生み出せない。
つまり、量子人材という時には量子ICTの研究開発ができる人という意味に限定すべきではない。量子ICT研究開発「も」できる人材と捉えるべきだ。あるべき姿としては、専門性が高くは当たり前で、その中で、他分野、応用力、広い視野をもった人材がいる、というように人材を幅広く育てる必要があるのではないか。多様性を許さない風潮は問題である。量子ICTを学び、高い専門性とスキルや知識を身に付けて社会へ出ていった先に、その人たちが何をやるかということは別問題である。もちろんその中から量子ICTの研究開発に携わり、技術の発展を支えていく人材もでてくる。
だから、量子ネイティブは少しどうかと思う。キャッチーであることは分かるが、あまりそこを強調し過ぎると、それしかできない人たちをたくさん作って、その後どうするのかということになる。それよりも、ここでトレーニングを受けた人は、色々な分野で活躍できる人材にしたい。もちろん、海外に行っても活躍できる人材だ。同時に、優秀な人材が海外に流出してしまうことに対して、日本を魅力的な場所にすることをセットで考えていく必要がある。
海外の1次情報をお届け
―海外ということでいえば、日本人のリテラシーの問題で、英語の1次情報にアクセスしにくい点で、不利になっている点もあるのではないか?
量子ICTは様々な側面で海外が先を行っている。今後の研究投資を考える上でも、日本の強みや弱点を評価する上でも、海外情報は必須となる。また、海外が先を言っているのは研究開発だけではない。情報発信でも大きく先行している。ところが、多くの情報が日本には殆ど入ってきていない。これは大問題だ。
ご存知のようにインターネット上の量子ICTに関連する情報には、間違っていたり、偏っていたりの情報が散見される。それでもインターネットのように開かれた情報環境では、多くの情報源と専門家の目があるために、間違った情報は長い目で見れば、淘汰されていくし、受け手側も様々な視点からの情報を得ることで正しい方向性を見出いだすことが可能だ。
ところが言語の壁によって溢れかえる海外の量子ICT情報が入ってこないと、日本語インターネット環境の中での少ない情報が何度もコピペして使われるために、偏った見方があたかも定説のような顔をしてまかり通る危険性が生まれる。これでは国際競争には勝てるはずがないし、ユーザーも適切な選択が難しくなってしまう。
海外の信用できる情報を1次情報のソースからダイレクトに、タイムリーに届くように量子ICTフォーラムがお手伝いできるのではないかと思っている。例えば、「ここのポイントはここである。こちらの学会ではこのようなロードマップが出ている」などということをソースからダイレクトに届けることを想定している。
―読者にフォーラムに参画してもらうためのメッセージを。
量子ICTは学問的にもまだまだ新しいし、社会的、文化的にも、まだその位置付けがこれからというところだ。ここから先、あるべき姿に成長させていくには、今まで量子ICTでがんばってきた人たち以外の多くの人の力を必要とする。誰が何を担当することになっている、というのはまだないのだ。
ここが面白そう、大事そう、儲かりそうと、動機も様々で、「ここだ!」というところを狙って是非参加してほしい。量子ICTに関わることは、未来作りに参加することでもあるのだから。
誤解しないでほしいのは、この手の話は大概日本で一丸となってやろうという協調性が求められるが、そうではない。動機は色々あっていい。私はここしか興味がないという人でもOKだ。そういう自分のチャレンジというか、やってみたいというところを持って入ってきてほしい。私たちは、それをきちんと受け入れる場を用意しておく。
皆と一緒にやらなければいけないルールもない。要するに、量子ICTの中でやりたいことをやってほしいのだ。特に若い人はしがらみがあるのではないか、1回入ってしまうと、これもあれもやらされてしまうのではないかという心配があるだろう。そんなことは全くない。量子ICTのここが面白いというところを持って参加してほしい。ぜひ、それを量子ICTフォーラムでやっていただきたいと思う。それをやることこそ、日本の未来を変えていくと思う。一緒に頑張ろう!(取材・構成:加藤俊 / 撮影:寺尾公郊)