会員インタビュー 量子ICTフォーラムの“一丁目一番地”とは?

一般社団法人 量子ICTフォーラム エグゼクティブアドバイザー 山崎 俊巳

量子ICTフォーラムの設立に大きく関わった男がいる。エグゼクティブアドバイザーの山崎俊巳だ。2018年、総務省大臣官房総括審議官を務めていた山崎は情報通信研究機構(NICT)を視察し、量子鍵配送(QKD)の研究者・佐々木雅英と同僚たちに出会った。彼らの研究が今後の日本にとって極めて重要だと理解した山崎は応援しようと決めた。しかし役所として取り組むとなると制約が多い。彼らが自由に活動できるような組織づくりをするべきだと思った山崎は、佐々木に対して次のように提言した。

「一般社団法人を立ち上げたらどうか。そこに若手研究者の育成をビルトインしたい。この団体の“一丁目一番地”は若手研究者の人材育成だ。ビジネス化も視野に入れ、民間企業も実証実験に参画できるようにすれば、協賛も集めることができる」

当時、山崎はオーバードクターの問題を深刻に捉えていた。博士の学位を取得しながらも、研究活動を安心して継続できる環境が整っていなかったのだ。若手の研究者たちが後に続かなければ、日本の科学の発展に未来はない。量子という分野は、国を支えていく産業の礎となるテクノロジー領域なので、この団体ができれば若手の研究環境を整えることもできるという確信があったのだ。

(取材:加藤俊 / 撮影:唐牛航)

<目次>

“霞が関”の縦割り文化を越えて集ってきた研究者たち

山崎俊巳

設立前のボランタリーな勉強会に集まっていた研究者たちを見て、山崎は衝撃を受けたと述懐する。参加者の所属がNICT、国立情報学研究所(NII)、理化学研究所(理研)、産業技術総合研究所(産総研)など複数の国立研究開発法人にまたがっていたからだ。いわゆる“霞が関”では縦割り文化が培われてきたので、省庁の垣根をこえて1つになることが難しい世界だが、研究者たちは既にその壁を取り払っていた。

山崎は、この集まりは旧科学技術庁、旧文部省、旧通産省、旧郵政省といった縦割り組織群に横串を刺せるのではないかと直感的に感じた。さらに民間の研究機関や大学の研究ラボも巻き込んでいくことで、研究者たちの価値を総体的に向上できるに違いないと考えた。しかし、本省の人たちの了解を得て進めると、結局縦割りの弊害が出て動きにくくなる。そこで彼らに、「研究者を中心として新しい組織づくりをしたらどうか」と話し、賛同を得て、具体的に動きだした。

こうして2019年5月30日に設立されたのが一般社団法人量子ICTフォーラムだ。佐々木は技術担当理事に、同年に退官した山崎は後にエグゼクティブアドバイザーに就任した。

山崎という男の変遷を辿ると、総務省、消費者庁、科学技術庁、内閣官房といった中央省庁で立法作業、政策の企画立案、政府プロジェクトの推進に携わってきたことがわかる。なかでも、とりわけてこのような政策立案や推進の組織づくりに長けていたようだ。その原点には何があるのだろうか。

原点

埼玉県深谷市で生まれ育った山崎は、小さい頃から星を見るのが好きだった。小学校2年生の時には望遠鏡を、4年生の時には一眼レフカメラを買ってもらい、天体の撮影をしていた。宇宙だけではなくミクロの世界も大好きで、顕微鏡も買ってもらい、プレパラートで標本を作ってさまざまな生き物の細胞レベルを観察したという。

「田舎だから時間しかなかった。釣りをするか、読書かだ。三島由紀夫を読むような文学少年だった。難しい本は、全部辞書を引き、単語の意味をノートに全部書いていた。結構まじめだった」

特に母親が教育熱心だった。望遠鏡や顕微鏡だけではなく百科事典、図鑑、伝記などもたくさん買ってくれた。もともと読書家だった山崎が好きだったのは中学生の頃に読んだアインシュタインの伝記。やがて、科学の話題を一般向けに解説・啓蒙している講談社『ブルーバックス』シリーズをむさぼるように読むようになり、宇宙創成や素粒子の世界観への関心を深めるようになった。量子力学の概念的なことを学んだのも、その頃だ。

母はもともと出身が浄土真宗のお寺の出だ。だからか、冬になると自転車の後ろにミカン箱を付けて、困っている人に着る物を配っていた。「案内して」と言われるのだが、私はそれが嫌だった。友達に見られたら恥ずかしいから「夜遅くなってから行こう」と言った。子ども心に「あいつは親子でこんなことをやっている」などと、いろいろ言われるのが気恥ずかしく嫌でね。田舎では、余計なことをやっていると思われるのだ。それがいつごろからか、すごいことだと思えるようになった。もしかしたら、厳しくも自分の時間を削りつい優しく向き合おうとするのも、そこから来ているかもしれない笑(山崎)

大学での研究テーマは「意思決定論」だった。人の行動を深く理解するためにも、個人や集団が何に基づいて意思決定しているか、不確実性を統計的手法でどのように処理していったらいいのかという研究をしていた。というのも、小学生の頃から、人が集団になる際に生じる、いじめやえこひいきが心底嫌いだったからだ。

「私はいつも弱い側にいたので、例えば、少し臭いだけで、なぜいじめられなければいけないのかと思った。それと妙に変わっている人が好きだった。人を楽しませてくれる。一人で楽しそうにしている。飽きない人たちだ。今でも変わらない。本質は子どもの頃から変わらないと思う」

親戚には公務員が多かったということもあり、自然と霞が関を進路に選んだ。大学では金融工学やロボット工学などの座学も幅広く取っていたので、通信と金融の両方に関わりたいという希望があった。郵政省ではその両方の仕事ができると聞いたので入省した。

職員32万人の生活が懸かった厳しい仕事を任された郵政官僚時代

大臣秘書官や総括審議官などを歴任した山崎であったが、彼の官僚人生は決して楽なものではなかった。特に、バブル崩壊前夜に郵政互助会問題を処理するために互助年金の見直しや運用先会社の清算に3年間従事したときは、自分の背中に、当時32万人の郵政職員の生活があると思うと、「本当につらかった」と語る。ほぼ毎日弁護士事務所に往復の生活が続いた。最終的に、東京地裁民事第8部と相談して、当時金融界で初めての特別清算を行うに至り、これまた初めて一部「貸し手責任」を認めさせることに成功している。

「その仕事が本当に大変だった。金融界の意見に押し負けそうになるものを、『貸し手責任』を理論展開しひっくり返していく。民間側の不遇な人事を目のあたりにしたのもその時だ。運用先会社は金融会社であったのでその貸付先に怪しい会社がなかったわけではない。あれを経験しているから、ほとんどの仕事は苦に感じることはない。大臣秘書官も大変ではあるが、命を取られる心配はない。その時はリスクマネーが複雑怪奇に色々なところに入ってしまっており、それらを解いていく作業には身の危険を感じることも多かった。駅のホームでは、絶対に前に立たなかった。帰宅は遅く明け方になることもあるが、なるべくタクシーを使った」

仕事をしてきたなかでの喜び:今も郵政福祉が継続して互助年金事業を続けていること。一番うれしいことは、いろいろなごたごたがあったということを、今はほとんどの人が知らないということだ。もう一つ、大臣秘書官をした時は大変だったが頼もしくもあった。郵政民営化を決着させるという困難な課題があった。片山大臣は切れ者で視野が広く容赦なく厳しかった。その大臣の薫陶を毎日朝から夜遅くまで直接受けるわけだ。嫌でも鍛えられたから(笑)

また、本格的なデジタル衛星放送時代が間近に迫る1996年は、米ディレクTVがCCCと組んで、また世界的なメディア王として知られるルパート・マードックがソフトバンクと組んで日本のデジタル衛星放送参入に意欲を示し、多チャンネル制度の規制緩和を巡る激しい日米交渉を経て順次放送を開始した。併せて96年は後者連合がテレビ朝日に資本参加するなど、テレビ業界にとっては激動の時代と言えたが、山崎は当時、衛星放送課の課長補佐として衛星放送行政の中核を担ってもいる。その模様は、さいとう・たかおの『ゴルゴ13・オーバーザスカイ』という作品では、日本の放送の在り方に強い理想を掲げる若き郵政官僚前橋として、野沢尚の有名小説『破線のマリス』でも春名誠一として垣間見える。どちらの作品でもモデルとなった官僚は殺されてしまうのだが、本人はあっけらかんと「ゴルゴ13に殺されたことがあるというのは一つの勲章では」と笑う。

山崎のことをよく知る人たちに人物評を聞くと口をそろえて言うのが「官僚にはまずいない人」というもの。官僚には生活感情に裏打ちされるところの「なぜそうなる?」がすっぽり抜けてモノを語る人が多いだけに、本質を見定めようとする山崎の姿勢が際立って見えるのかもしれない。それだけに多くの人が、「よく続けた。もっと早くに辞めると思っていた」とも語る。山崎自身も同意するのだが、実際に役人を続けることができたのは、理由があった。

余白を残す生態系に学ぶ、組織づくり

「海の命のゆりかご」とも称されるマングローブ林の下では、満潮時と干潮時で舞台の役者の顔ぶれが異なる。満潮時の水中を覗けば、入り組んだ根の間に、たくさんの小魚や貝などが見えるが、干潮になれば、砂の中の小さくなった木の葉や生物の死骸などのデトリタスと呼ばれる微細な有機物を食べるカニやシオマネキや干潟を跳ね回るトビハゼが顔を出す。さらに捕食するサギやシギなどの鳥類も集まってくる。潮間帯・汽水域の生態系は多様性に富み、ユニークでありつつ余白を持っている。山崎は社会も同様だと語る。

行政の仕事は、国民からの税金を礎に補助金など政策予算として配分・執行される構造を持つ。ボランティア活動も国からお金が入る形で運営される場合が多い。事実、民間が民間に寄付して応援したいとなっても損金にしにくい。それは国に税金として納めるべきだという中央集権の価値観できれいに作られている、余白のない世界だ。

「私は余白があるような社会が好きだ。いろんな人が集まり共通の価値観を育む。そんな共通の価値観を基に余白から新しい思想や行動が生まれると思っている。お金が民間から弱い組織の民間にもっと寄付されてもいいのではないか。また、寄付は強制されるものではなく主体性を大切にしたい」

日本は赤い羽根もそうだが、多くが自治会経由で求められる。名簿ができていて、ベルトコンベヤーに乗って自動的に回収されていくかのごとくだ。効率性や絶対性を重んじればそのとおりであるがはたしてこれでよいのだろうか。国の仕事をしながらも、寄付者の自由意志が尊重される文化が日本に定着してほしいという考えを持っていた山崎は、NPOの立ち上げにも関わっていった。その中の一つに2004年に設立した一般社団法人エコロジー・カフェ(エコカフェ)がある。設立に関わるのは八つ目だった。絶滅危惧種の保護飼育と子どもたちの学びの要素を掛け合わせた取り組みを行っている。

好きなのは大神島。人工的な音がほとんどないから。全て、波と風と木々と自然の生命体が織りなす音しかない。島の周囲に拡がるリーフが見えない防音膜を形成してくれている。われわれが昔、原始社会で生活していた環境を想起させる。そこに身を置いた時に震えない者は、よほど魂が汚れていると思う。だから、説明しないで人を連れていく。自分の体がどのように喜ぶのか、感じるのか、溶け込むのかということを、感覚的に感じられたらいい。あまり説明は要らない。とかくわれわれはすぐに説明しがちだ。私は説明することに疲れた(山崎)

「エコカフェがなかったら、とっくに役所が嫌になって辞めていたと思う」と山崎は語る。官僚の仕事は傍から見ているよりもヘビーだった。いろいろな力学が働く世界で、理不尽なことも決して少なくない。エコカフェが立ち上がったことによって、心がほっとする場所が与えられた。

「役所でやっていることの私自身の限界値を、エコカフェという団体が吸収しさらに拡張してくれたのだ」

平日の夜と土日は、ほとんどエコカフェの活動に参画するようになっていった。役所にいたので、ビジョン、フィロソフィー、行動指針、仕組みづくりなどにノウハウを提供できた。役所のピラミッド組織とは対極にある、オープンでフラットな誰も偉くない組織づくり、取巻く環境に柔軟に自律対応しながら継続していける組織づくりを心掛けた。今でいうティール組織だ。取り組みたいことは会員が提案し、共感した人たちが集まり、プロジェクトが自然発生的にボランタリーに展開していく。事務局は若干のサポートをするだけだ。ティール組織という概念が叫ばれる前から、山崎はこのような生命体的な組織づくりを行い、手応えを感じていた。

NICTで佐々木と出会い、量子の研究者たちを応援したいと思った時に、一般社団法人の設立を提案した背景には、こうした山崎の実体験があった。特に、これからは若い量子の研究者を育てていかなければならない。そのためには、既存の敷かれたレールに載せるのではなく、むしろ脱線して違うレールを作りながら進むほうが、新しい量子の分野には有益だ。違うフィールドの研究者とも自由に触れ合うべきだ。老舗学会のような硬い組織ではなく、エコカフェのような柔軟性に満ちた組織運営が望ましい。量子ICTフォーラムは、こうした山崎の思いを端緒として設立されることとなった。

量子ICTフォーラム設立当時の意思が継続するように助言をする立場

山崎家は教育者と商人ばかりの環境だ。しかも先生といっても、皆型破りだ。石田貞という部落解放の研究者までいた。今にして思えば、私はよく役所に入れたと思う。石田のおじさんさんから手ほどきを受けている。だから、どちらかというと権力を客観的に捉える癖がついた。その姿勢は一貫して持てたと思う。(山崎)

――量子ICTフォーラムが設立されてから、具体的にどのように関わってきたのか。

山崎 設立当初はまだ役所にいたので、具体的にはほとんど関わっていなかった。言い出したのは私だが。規定類の整備をきちんとしたほうがいいということ、特に公平、公正と透明性については、外からいろいろ問われた時に、自分たちが何をしようとしているのか答えられるようにしたほうがいいということを助言した程度だ。

――役所を退官した後の関わりは。

山崎 2019年に退官して、エグゼクティブアドバイザーになった。私の役目は、設立当時の意志が継続するように助言することだと思っている。どこの組織でもそうだが、責任者には任期があるので、同じメンバーが継続するとは限らない。入れ替わっていくと、周りから期待される声に耳を傾けて最初の想いが変質することがある。特に行政と関わりを持って仕事をしなければいけない領域なので、力学の中で変化していくことが容易に起こりやすい。本質的な議論を経て哲学を持って立ち上げているハズなので、それを忘れてほしくない。

――エグゼクティブアドバイザーとして関わる前後で、山崎さんが期待していた部分と、現況にズレはあったか。

山崎 研究者育成の部分は、国によってでき上がっている制度がある。オーバードクターの制度や、そのために任期付きの雇用制度を設けるなど、現状用意されているものが駄目と言うのではないが、このようにしていったらもっと良くなると働きかけたいと思っているが、研究者は自分の研究成果をどう展開するかということに考えが行きがちだ。それはやむを得ないので、事務局にしっかりしてほしいと思っていた。しかし最初は事務局が脆弱だったので、まずは全体の最適ということで理事の研究者および所属している研究者の意向を優先して進める方がいい。企業会員もある程度増えて、財政基盤が整い、資金的にも組織が回るような環境ができつつある時に、人材についてあらためてしっかりやってほしいということを助言した。ズレとは理解していない。現実に向き合いステージをあげていく。

発想が柔らかい若手のうちに研究領域が異なる人たちとの交流が必要

高校の先輩が警察からマダガスカルホシガメをたくさん預かってしまったのだが、これを保護できる仕組みづくりをしてほしいという相談を受けたのがエコカフェを立ち上げた理由。「本当に立ち上げて良かったと思う」(山崎)

――設立して3年が過ぎ、去る2022年11月から会員間交流会「Quantum Cafe」が開催されるようになった。当初目的としていたエコカフェのような組織づくりが着実に進んでいると捉えてよいか。

山崎 若手の研究者が参加する交流会を開催できたことは素晴らしい。ただし、これをどうマネジメントして運用していくかという点こそ大事だ。若い人たちのやる気を失わせないような運営をしていかなければならない。彼らがわくわくしながら活動ができるような環境整備を行い、必要なことについては行政と話し合って改善措置を講じるような努力をしてほしい。

常にエンカレッジだ。エンカレッジには、内からのものと外からのものがある。内からのエンカレッジは、その人が研究者としてこういう研究をしたいという動機がある。ところが、学士、マスター、ドクターと上がっていく過程で、研究領域は指導教官からある程度与えられる中で制約を受けしまうこともある。なんとなく違うと思った時に、他の領域へ円滑に移ることができるのかという問題がある。そこがフォーラムの一番大事な仕事だ。私としてもエグゼクティブアドバイザーという立場で、常に“一丁目一番地”からずれないように助言させていただきたい。

――若手研究者が学部時代から続けてきた研究に固執せず、柔軟な発想で新しい領域に進出していくためには、アカデミアだけではなく民間企業との関わりも深めていく必要があると思う。

山崎 そのとおりだ。フォーラムの出口戦略として、民間事業者が量子コンピューティング、量子通信、量子センシング、量子暗号をビジネス化する中で、ベンチャー企業が生まれてくると思う。もしかしたら大企業の中の企業内ベンチャーで生まれるかもしれないし、本業の中に組み込まれながら生まれてくるかもしれない。さらにはコンソーシアムを組みながら部分的に政府の補助を受けながら進んでいくプロジェクトもできるだろう。

好きな研究領域がビジネス化されることで、研究者としての視界が広がり、より研究に打ち込むことができる。それは「自分でリスクを考えることができる」と読み替えができるので、そういったところに小口の投資ができるような仕組み・仕掛けがあったら面白いと思う。もし会社が上場すれば、自分のストックが豊かになる。真面目にこつこつ研究していればいいという価値観ではなくて、研究者も社会の一員として関わり、人生を豊かにする手段として、お金に対する新しい接し方があっていい。そのような新しい仕組みを世の中につくっていくことに、とても興味がある。

量子ICTフォーラムの強みは新しい刺激が泡のように湧いてくるところ

2022年株式会社りんごインクという会社を作った。りんごインクには3つの柱がある。1つ目は地方創生。2つ目は子どもたちの教育プログラムづくりの支援。具体的にはエコカフェの支援。3つ目は外国との交流。これはエコカフェの事業をグローバルに展開する時にはお金が掛かるから、事業体として支えていくためだ。

――現在はいろいろな団体が発足している。産業界からすると、どの団体に属せばよいかで悩むことが考えられる。はたして、フォーラムはどういった特色を出していくべきか。

山崎 企業の選択は自由だが、フォーラムの強みは新しい刺激が粒のように湧いてくるということだ。若い研究者とベテラン研究者との交流、若い研究者と産業界との交流によって、新しい刺激の泡がどんどん湧いている。そういった場だということを強調すべきだ。そこに触れて、自分のところも新しい刺激を受けたいと考える会社は、ぜひフォーラムの会員になっていただいたらいい。

それは明確に何かがすぐに生まれるということではない。刺激とはすぐにビジネスになるのではなくて、刺激を与えられることで自分自身をエンカレッジできるわけだ。先ほど言ったとおり、内からのエンカレッジと外からのエンカレッジの両方が必要だ。外からのエンカレッジを受けることによって、自分のやる気を複雑なシンフォニーのように奏でてもらいたい。刺激は幾つもあるほうがいい。そういう意味では、現在、量子コンピューティング、量子暗号通信、量子センシングの3つの委員会があるが、もっと根源的な量子生命のような研究領域も取り込くのも面白い。

――現状では量子ICTフォーラムは、量子生命の領域は射程ではないのか。

山崎 射程外とは言っていない。射程にしているが明確化していないだけだろう。フォーラムもいろいろ検討していると思う。ある程度理解ができるような形に整理して出すほうがいい。何事もリアリティーが大切だ。量子ICTフォーラムが持っている価値観、社会ニーズや企業の皆さんが期待すること、行政の皆さんが期待すること、それぞれのバースがあるが、そのバースとバースの接点の部分に答えがあると思っている。余白=カオスと捉えても良い。見える人には見えてくる混沌としたエネルギー。

したがって、フォーラム内で考え、答えを導こうとするのではなくて、行政の皆さんとも意見交換をしてほしいと思うし、産業界の人とも意見交換をしてほしいし、生命科学・生命倫理学の研究者とも交流してほしい。そういう中で全体最適を意識して、フォーラムが取り組むべき内容を世の中に出してほしい。

エネルギーを考えた時に、光合成のエネルギーは、あれほど小さな葉がどれだけ効率良くやっているのか、われわれのミトコンドリアが、どれだけ効率的にATPエネルギーを産出しているのかを考えると、究極はエネルギーなのだ。今、ロシアのウクライナ侵攻によって、世界ではエネルギー価格が高騰している。量子ICTフォーラムでも量子生命の領域が話し合われる時は近づいていると思う。

資源がない日本にとっては将来に向けた研究者への人的投資が大切である

――量子生命はもとより、量子の領域全般にいえることだが、実用化には時間がかかるものが多い。しかし産業界では、短期で投資を回収したいという傾向が強い。その点はどう思うか。

山崎 それは正しいのだが、全てにポートフォリオという概念がある。投資と生産高で生産性が決まるが、投資には幾つかの種類がある。私は、将来のための投資という概念が大切だと思っている。それは人的投資だ。日本は資源がないので、本来は国の政策として人的投資をしっかり位置付けておかないといけない。

資本市場の中では、人的資本といいながらも、それは労働力なのだ。労働対価という物理的・即物的な概念でしかなかった。研究領域は、もともとそれが測れない世界だったが、レバレッジが効くわけだ。企業の理念、ビジョンがあって、そのために量子の世界をどれぐらい組み込めるのか考えた時に、当面は2割ぐらい既存の領域に足し上げた量子のビジネスが生まれればいいと思ったとする。例えば、予備勉強的に学習する、情報収集するなど、どういう名目で投資しているかによって、企業ごとにどれくらい資金が出せるか規定できるはずだ。情報収集だったら、それで割り切ればいい。しかし人的なつながりができて、アディショナルな価値が生まれる可能性が高いわけである。そういうものをしっかり意識したら、おのずと決まるはずだ。

――実用化を急ごうとうたっている他の団体もある。量子ICTフォーラムの位置付けは、中長期のR&Dを見ていて、学術的なアカデミアの要素が強いのか。

山崎 基本的には強いと思っている。しかし政府や産業界の要請もある。フォーラム自身は基礎研究に強いのだが、基礎から応用研究まで含めて研究は全部対象だ。したがって、ビジネス化する部分についても、ある一定程度、短期的には集中するべきだと思っている。短期的な柱、中長期的な柱があるのだ。どちらの柱にも、基盤を支える横串のもう一つのインフラがあり、この3つで支えられている。水が流れるには上流から下流に向かって傾斜をなす構造的基礎が必要だ。

フォーラムはそういう基礎から応用も含めて、応用から民間にブリッジするところも含めて頑張ってほしい。全てをできるスペックを揃えたのがフォーラムなのだ。ただし研究者が多いから、何となく見え方は基礎研究のほうに軸があるように見えるのだが、応用の研究の分野でも人が大事なのだ。全てにわたって人は大事ということだ。

――その他の点で期待することは。

山崎 もう少しいろいろな交流を頻繁にしてほしいと思う。若手の交流もそうだが、産業界の要望を聞くシナリオなしのシンポジウムなど、肌感覚を重視するものがほしい。きちんとしつらえられたものではなくて、野菜を取ってきて芋煮会をするような発想だ。そこに新しい三ツ星の新進気鋭のシェフが来て、新しい創作料理をつくるような感覚がほしい。やや真面目すぎるが故に、そういうフレッシュさが、現段階のフォーラムにはなかなか見えてこない。

――どうすれば生まれるのか。

山崎 時間が必要だ。頭で理解して行動に移るには、閾値が高いわけだ。その壁を越えるためには、ご意見番のようなうるさい人がいることが必要だ。組織には常に一定のプレッシャーが必要だ。プレッシャーがないとやり切れない。それを心地よいプレッシャーにしなければいけない。がみがみやるとパワハラになってしまう。私は意地悪ばあさん的な振る舞いが好きだ。少し意地悪なのだが、愛情を持った意地悪だ。人の考えや気持ちを読み取れるようになるとエンタングルな働きが産まれてくる。大脳の働きも大事だが非認知流域の働きを高めあいたい。全てを説明しなく自発的に環境に働きかけ成長していく組織の姿をイメージして。エグゼクティブアドバイザーとして、その役割を今後も務めていきたい。