量子鍵配送技術推進委員会若手インタビュー 量子ICTと金融の未来像
野村ホールディングス株式会社
未来共創推進部シニア・アソシエイト
(取材サポート 林周仙部長) 大利 優
デジタル技術によって、最も変革を遂げる可能性があるのが金融業界だ。しかし残念ながら、現状ではフロントランナーが足り得ていない。なぜなら、経済社会へのインパクトが大きすぎ、法規制がイノベーションに追いついていないからだ。このような中、野村ホールディングス株式会社は、2019年4月、未来共創カンパニーを創設し思い切った攻めに転じた。カンパニー内でデジタル技術を活用し、新しい顧客、新しい事業領域を中心とした調査、企画を担うのが未来共創推進部だ。同部では、日々アップデートされていく新技術の変容をキャッチアップし、周囲と対話を繰り返しながら、ビジネスへと落とし込んでいく人材が求められていた。2019年夏、部長の林周仙さんは量子暗号分野やブロックチェーン活用等の調査業務を強化するために、社内公募を実施。当時、バックオフィス部門にいた大利優さんは、この機会をとらえ、呼びかけに応ずる。高校生のころから新技術の探求に熱を入れてきていた大利さんは暗号技術領域において量子ICTの発展にも尽力したいと考えている。
(取材・撮影:増山弘之 /構成:藤田龍希)
(目次)
- 野村ホールディングスの目指すビジネスの方向性
- レギュレーションとのバランス、そして共創の精神
- 5か年をかけ、社内体制を整備
- 未来共創推進部に参画
- 新技術への探求心の源
- 探求心のその先へ「テクノロジードリブン」からの脱却
- 量子ICTの金融分野への実装に向けた活動
野村ホールディングスの目指すビジネスの方向性
大利優さんが担っているミッションを明らかにするため、まずは野村ホールディングスの未来戦略について紹介しよう。同社は、「パブリック(公募)」から「プライベート(私募)」へと事業の裾野を拡げ、個々の顧客にカスタマイズされたサービスやビジネスソリューションを拡大していこうとしている。そのために、商品・サービス、顧客基盤、顧客接点の3軸で事業を強化していく戦略だ。
具体的に、商品・サービス面では、デジタル債、STO(Security Token Offering)、オルタナティブ投資商品(私募)、プライベート・エクイティ、プライベート・デット、事業性資産といった領域。顧客基盤では、非上場企業や、スタートアップに向けに展開していく。そして、顧客接点に関しては、デジタルテクノロジーの強化により、カスタマーチャネルの革新を展望する。
非上場企業やスタートアップへの投資活動はデータが少ないため実態が見えにくいが、昨今は、投資型クラウドファンディングや、株主コミュニティなどの制度を用い、非上場の株式が売買される動きも出てきている。一般的な投資家でも、日常的に非上場企業、スタートアップ企業に向けて投資活動ができるような世界になれば、経済全体を大きく活性化することができる。
あくまで、上記は一例だが、これまでのような画一化したソリューションだけでは対応できないニーズをとらえ、個別最適なサービスを形作っていけるチャンスは大きい。
レギュレーションとのバランス、そして共創の精神
その際に、必ず留意すべきなのが、レギュレーションとのバランスだ。例えば、フィンテックにより、仮想通貨の流通、証券のトークン化などの新しい動きが出てきた際には、金融商品取引法の中で、どのように解釈していくのかという論点が浮上する。また、量子暗号技術を用いて、通貨やトークンをトランザクションする際、蓄積されていくデータの運用体制や、権利関係など、多くの検討課題がある。
このようなプロセスにおいて金融庁との調整は必須だ。長い歴史の中で、法令を遵守し日々実務運用を行っている野村だからこそ、現行制度と新しい技術応用との接合点を見出すことができる。一見、同社とフィンテック企業等とは、鬩ぎ合っているのではないかという見方もあるが、そうではない。フィンテック企業も含めて、一枚岩になり、日本の産業構造の変革へ対応していかなければ国全体にとってマイナスになるため、あらゆるアクターとの連携推進が必要だ。だからこそ、同社は、未来を共に創っていくというビジョンを掲げているのである。
5か年をかけ、社内体制を整備
野村ホールディングスは、2021年現在に至るまで約5年をかけて新たな基盤整備に努めてきた。未来共創推進部の前身である、金融イノベーション推進室を2015年12月に設立。2017年以降、野村インキュベーションファンドの設立、N-Village、fanbase company、BOOSTRY、WellGo、aiQなどの出資や事業立ち上げ、新規ソリューションの開発などに取り組んできた。ビジネス領域は、IT・ブロックチェーン・ヘルスケアなど多岐にわたる。2019年には、未来共創カンパニーを設立。金融イノベーション推進室を、未来共創推進部として役割を拡大し、さらに踏み込んだ活動を展開していく。
そんな中、部長の林周仙さんはリサーチセクションについても人員を拡充する必要があると感じ、2019年夏に二度目になる社内公募を実施。若干名の中に自ら応募してきた一人が大利優さんだった。
応募した際の資料、志望動機やバックグラウンドを見て選考を進める中、決め手となったのは、大利さんの「探求心」の強さと「第六感的先見の明」の二点だと林さんは言う。技術を見つけ、探求していくという力だけではなく、そこから未来を推論していく力に長けていると見たのだ。
大利さん本人は、もともとミドルバックと呼ばれる、フロントのセールスをサポートする立ち位置で業務を行ってきた。各種取引の内容から、どんなことが推察できるのか、因果関係を繙いて、フロントの営業担当者にフィードバックしていくポジションだ。
その際に、定量的データに依存するのではなく、お客さまの特性を踏まえた考察を行い、潜在的なニーズを明らかにし、最適な商品を提案していくサポートを行った。ここで大利さんは、実務運用上の、細かな制約条件や、各種取引の実態を日々目にしてきた。単なる「テクノロジードリブン」的発想から脱却し、実運用の方法を模索するべきだとの大利さんの見解は、ミドルバック業務を通じて培ってきたものだ。金融業務の現場やルールに関する知見を持ちあせているからこそ見えてきた問題意識だ、と林さんは指摘する。
未来共創推進部に参画
―大利さんは、なぜ未来推進共創部に応募されたのでしょうか。
もともと、Peer to Peer技術やブロックチェーン技術は常に探求し続けていたので、それらを活かして新しいビジネスへ挑戦したいと考え、応募しました。実は今回が2回目の挑戦で、1回目は、当部署の前身である金融イノベーション推進室設立時の募集への応募でした。当時は、ビットコインが既に流行り始めていましたので、トランザクションのスピードやブロック分岐を評価し格付けすることを提案いたしました。その際は、縁がなかったのですが、2019年に、もう一度応募のチャンスがあることを知りました。改めて一度目の提案内容を振り返ってみると、ビジネスとして不足している点が多いものの、目の付け所は悪くなく、翻って見れば世の中の流れを捉えられているのではないかと考えました。そこで、前回提案した内容を修正して再度プレゼン資料として用い、二回目の挑戦をした結果、メンバーとして加わることができました。
新技術への探求心の源
―新技術への探求心は、どのように育まれていったのでしょうか。
元をたどると、祖父も祖母も、医療や物理といった理系の研究をしていたこともあって自然と理系分野への関心の高い子供でした。昔から、本を読むことも好きで、小さいときは学研のひみつシリーズ、結城先生の『数学ガール』、ファインマンの本や、その他推理小説を読んでいました。
転機となったのは、『ファインマン物理学』。本の中では、「数式から物体の運動をイメージする」という言葉があり、はっとしました。そこから、数式から物体の運動や現象を想像しはじめ、徐々に世界が広がっていったのを憶えています。その後のキャリアにおいて、数学や物理を探求していくきっかけとなりました。
高校に入ると、ネット上で暗号を出し合って、みんなで解いていくというような遊びにのめりこんでいきました。ある掲示板サイト上に、暗号をポンっと出す人がいて、それを解いていくと、ある場所が現れる。現地に行くとガムテープに貼られた13桁のパスワードがあり、それをコンビニで印刷すると新たな暗号問題が現れ、さらにひたすら解き進めていくというような仕組みでした。日本を中心に世界中に暗号のヒントがばらまかれ、ネット上で様々な能力の高い人たちが集まり、みんなで一緒にそれを解いていくプロセスがすごく楽しかった。
その後、高校を卒業すると、慶應義塾大学理工学部に入学し、主に数学を軸とした基礎的な領域を固めていきました。一方、大学時代においても、高校時代にのめりこんだ暗号を使ったコミュニケーションは継続していました。高校生の時より行動範囲が広がり、暗号を解読して現地に訪れると、「もしかして君も暗号を解いているの?」というように、同じく暗号を解く人たちと出会い、リアルなコミュニケーションが生まれるのが非常に楽しかったです。大学生ながら、社会人とつながることができ、多様な交友関係ができました。海外に暗号を解くスポットがあって、実際に赴くこともあり、世界が広がっていく体験をしました。
―ちなみに、量子コンピューターへの興味はいつ頃から持っていましたか?
小、中学校の頃にはすでに量子コンピューターの存在自体は知っていました。ただし、高校生までは、量子コンピューターはあくまで「夢のコンピューター」。しかし大学では、学部柄、コンピューターで解析を行っていたので、当時の研究室の先輩との間で、「量子コンピューターはどんどん使っていかないといけないよね」という話題は出ていました。この頃になると量子コンピューターは「夢のような装置」という感覚ではなく、「実際に利活用していくべきツール」という認識へと変わっていきました。
―当社に入社するに至った経緯について教えてください。
実は、大学の同じ学部から野村證券に入社した人はあまり多くありません。学校の授業の一環で、たまたま訪れたいくつかの企業の中で、一番話が面白かったのが、野村證券だった。当時は割と、感性的な側面がきっかけとなり意思決定したものの、結果的に自身の特性を生かすことができるポジションで活動することができていて、あの時の意思決定は良かったと考えています。
探求心のその先へ「テクノロジードリブン」からの脱却
―今は具体的に、どのような業務を担当されているのでしょうか。
広義な意味では、産官学の共創活動を企画設計しています。その中で、主には、量子技術やHedera Hashgraphなどブロックチェーン、機械学習に関する領域をメインに調査しています。機械学習の分野は、チャット・ボットなどにも応用でき、特に量子アニーリング方式と相性が良いです。このように、領域単体の調査が、各領域間での親和性を生み出すこともあるので、幅広く調査を進めています。また、様々に調査を進めていく中で、産業界・金融業界に身を置く立場として、見聞きしてきた情報を最大限に活用し、制度設計の見直し、改善に向け、政策提言等の活動にも参画しております。
―実際に業務を行ってく中で、どのようなことが見えてきたのでしょうか。
一言でいうと、実際の業務を経て、「テクノロジードリブン」という言葉に対して少し違和感を覚えるようになってきました。世の中には素敵な技術がたくさんあり、わくわくするようなお話にあふれています。現在の部署に異動する前は、あくまで技術を享受する側、つまりユーザー視点でしか見ていなかったのですが、いざ会社としてそれらの技術を実装するとなった際には、細かく現実的なラインに配慮する必要性がありました。自分自身がいかに、「テクノロジードリブン」つまり、技術ありきで物事を見ていたのかということを痛感することとなりました。
量子ICTの金融分野への実装に向けた活動
―量子分野を含めた、技術実装を行っていく上で心掛けていることはありますでしょうか。
一つは、ニュートラルに技術をとらえ、活用方法を議論していくという姿勢を大切にしています。例えば、核技術が世界にもたらす影響はどうか、というような問いがあったときに、はなから偏見を持って拒否するのではなく、その技術の可能性や、リスクなどをフラットに議論していくことが必要だと考えています。逆に、この議論が深まらないまま、否定から入ってしまうと、いくら良い技術があったとしても実装にまで至ることができず、かなりもったいないと感じます。
そして二つ目に、人類、ひいては動物や自然も含めて、トータルで見たときに、世界にどのような影響をもたらすのかということを、常に自身に問いかけています。いわゆるSDGs的な発想です。一例ですが、新薬に対する革新的な技術を持つ薬品会社に対して、投資をする際には、目の前の収益性、儲けというより、その会社が社会にどのような影響を与えるのかを考えるべきだと思いっています。投資のような大きな話でなくとも、ちょっとした買い物でも会社の背景、社会に対する見方なども意識して商品を選びたいな、と思っています。
―量子分野に参入するに至った経緯について教えていただけますでしょうか。
2018年に、前身の部、金融イノベーション推進室で、量子コンピューターの実証実験を始め、ユースケースを対外発表いたしました。それが当社としては、初めての量子分野への参画となります。その後、量子ICTフォーラムとのご縁があり、量子暗号プロジェクトに関するご提案をいただきました。最初は、このプロジェクトを通じて、すぐにビジネス化できるか、という点について検討していたのも正直なところです。しかし、先述の通り、目先の利益のみならず、長期的な社会へのインパクトを考えたときに、やはりこのような新しい取り組みについては、実験体となって取り組んでいくことも必要であろうと考え、最終的には参画させていただく運びとなりました。
―量子ICTフォーラムに期待することはありますでしょうか。
研究者の方々には、尊敬を隠しえません。研究者の皆様を応援できるような形で、私共が産業界・金融業界において、見えてきた様々な課題等をお伝えできればと思います。それによって、量子ICT分野の社会実装に向け、少しでも貢献できれば嬉しいです。量子ICTフォーラムには、そのためのきっかけをいただき非常にありがたいと考えております。
―お仕事の話が中心になってしまいましたが、ちなみに、プライベートではどんな過ごし方をされているのでしょうか?
以前の暗号ゲームは、最近していませんが、脱出ゲームには良く参加しています。それと、今でも読書中心で新しい情報に触れ続けることが好きです。やはり本を読むのは好きですし、今はクイズにはまっていますね。学生時代と違うところでは、YouTubeなどを通じて動画コンテンツもよく観ています。学術団体が配信しているコンテンツをはじめとして、新しい理論や技術のコンテンツなども楽しく視聴したり、製品を購入して触ってみたりと、昔から変わらず技術に触れること自体が趣味となっています。90歳の祖父も、アレクサを導入して自宅でデジタル家電ライフを送っていると聞いているので、大体似たような過ごし方をしていると思います。
―最後に、そんな大利さんが尊敬する人について教えてください!
私が尊敬する人は、亡くなった祖母です。医療分野に強くアンテナを持つタイプの人間でした。社会全体にとってのより良い方向性とは何かという問いに向き合い、行動し続ける姿を幼少期から見続けてきたことが、私自身の価値観形成に強く影響してきました。とはいえ、私自身は先述の通り、学生時代から純粋に技術や理論体系の探求・学習をしていくことにやりがいやモチベーションを感じるタイプの人間でした。しかし、企業人としてビジネスに関わっていくうちに、それらの技術革新を通して、お客さまや、社会全体に対してどれだけ貢献できるのかという視点で物事をみるようになりました。幼いころから見てきた祖母の姿の稀有さ、重要性を、年を重ねるほどに、強く感じてきています。これからも、祖母から学んだ、利他の精神を忘れずに活動していきたいと思います。
(取材・撮影:増山弘之 /構成:藤田龍希)