佐々木 寿彦(ささき・としひこ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 講師
1984年福島県伊達郡生まれ、神奈川県海老名市育ち。東京大学理学部物理学科卒。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程。独立行政法人理化学研究所創発物性理化学研究センター特別研究員、情報・システム研究機構国立情報学研究所情報学プリンシプル研究系特任研究員、東京大学大学院工学系研究科附属光量子科学研究センター特任研究員、助教を経て、2020年より現職。理学博士。
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 講師 佐々木 寿彦
理論物理学者として量子鍵配送や量子暗号、量子インターネットなど、さまざまなテーマで研究を続ける東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻講師の佐々木寿彦さん。
高校時代に出会った哲学書の古典「ソクラテスの弁明」で人間にとって追求すべき価値とは何かと自問し、「自然に対して知識を積み上げていく研究者は、自分なりに意義を見いだせる存在」と自答、興味のあった物理の研究者を志したという。以後、節目節目で出会った恩師との深い議論に導かれ、佐々木さんは研究者としての現在地に立つ。
一方で物理への関心とは別に、高校時代からコンピュータやネットワークを“いじるのが好き”だったという佐々木さん。研究室ではサーバーやネットワークの調整や管理を引き受けて“楽しんでいる”だけでなく、その知見は巡り巡って現在の研究にも役立っていると語る。
同様に小中学校時代に“普通に”ハマりだしたゲームは、現在も佐々木さんの研究生活を伴奏し続け、研究に刺激を与え、かつ研究者仲間以外の多彩な人々の思考の取り入れ口となっている。
ふだんの研究や会議は新型コロナの影響もあり、ほぼ在宅で行っている。長時間机に向かい続ける生活のため、最近ゲーミングチェアを“清水の舞台から飛び降りる“思いで購入するなど、健康にも気遣うようになった。
背景には、昨年生まれたお子さんの影響もあるようだ。ゲーミングチェアを愛用する若手量子物理学者は、新米パパでもある。
(取材・文・撮影:佐藤さとる)
佐々木 寿彦(ささき・としひこ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 講師
1984年福島県伊達郡生まれ、神奈川県海老名市育ち。東京大学理学部物理学科卒。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程。独立行政法人理化学研究所創発物性理化学研究センター特別研究員、情報・システム研究機構国立情報学研究所情報学プリンシプル研究系特任研究員、東京大学大学院工学系研究科附属光量子科学研究センター特任研究員、助教を経て、2020年より現職。理学博士。
「物理が好きだなと思い始めたのが、中学の頃です。ちょっとベタな話かもしれませんが、幼い頃に親に連れられて自然科学館に通っているうちに好きになっていたというのと、現象を計算で表現できるような物理は面白いと思うようになったことがありました。
研究者になろうと思ったのは、高校時代に倫理で読んだ「ソクラテスの弁明」がきっかけです。人生で価値のあることって何だろうと考えたわけです。いろいろ考えていくとたいていのことに価値は見いだせない、どうでもいいことじゃないかと思ったんですね。でもその“どうでもいい”と思うなかに“どうでもよくない”ことがあるから、そこはよく考えたほうがいいのではないか。たとえば世の中の人がどうでもいいと思っているような自然に対する知識。これを積み上げていく研究者というのは、自分なりに意義を見いだせるかなと思ったんです。じゃあいろいろ研究者がいるなかで、自分だったら一番興味のある物理がいいんじゃないかと。研究者って大変そうだけど、きっとどんな業種でも大変だと思うものだろうし、物理なら好きでいられそうと考えたんです。
それで研究者になるなら東大に受かるくらいの力は付けないといけないと考え、受験勉強に向かいました。
ただ量子の世界に入っていったのは、入学してすぐではなく、学部から大学院に入る頃だったと思います」
佐々木さんは、所属する東京大学の研究室のサーバーやネットワークの調整や管理を担当している。研究室の「インフラエンジニア」を自認する。研究で多忙を極めるなか、それほど苦にしているふうでもない。昔からコンピュータやネットワークを“いじるのが好き”だったからだ。
「高校時代はコンピュータやネットワークに関心があって、ソフトウェアをダウンロードしてパソコンをカスタマイズしたりしていました。Linuxを使っていたんですが、ダウンロードしたソフトだと結構動かなかったりするんで、それを修正して動くよう『いじって動かす』とか、動く仕組みそのものに関心がありました。それもあっていま、大学の研究室のサーバーとかネットワークの調整や管理を担当しています。インフラエンジニアのような役割ですね。
ゲームも普通にというか、かなりやっています(笑)。僕らの上の世代はファミコンですが、セガサターンなどが出てきた世代でちょっと違う。大学時代はかなりやっていました。シューター系のゲームなのですが、自分で大会を主催するくらいでした。基本的に学内の学生仲間とは関係なく、ゲーム内で知り合った人と交流していました。一定以上強いとだんだん連絡を取り合うようになるんですよね。MMOというジャンルのゲームもやりまして、その仲間とはバーベキューもしましたが、職業も年齢も違う人が集まっていて話題が全くバラバラ(笑)。面白いですよ。
よく、パソコンとかゲームから入って工学系に行く人もいると思いますが、僕の場合はコンピュータもゲームも純粋に趣味なんです。物理からいま量子情報に入ってきた。
別々のところを走ってきたんですが、いまコンピュータやゲームの知識は量子インターネットなどにすごく役に立ってますね」
「量子を本格的にやろうと思ったのは、大学院に入る頃です。大学でやる物理としては、量子論が1つの山だと思ったんです。ただそれがよくわからない。
1913年に発表されたボーアの『原子および電子の構造について』から今日まで古典から量子を考える色々な手法が出ていますが、本当に整合性があるかもわからない。わからないのは嫌なので、そこをちゃんと自分なりに理解し整理しておこうと思ったんです。いろいろ当たっているうちにたどり着いたのが、つくば市にある大学共同利用機関法人の高エネルギー加速器研究機構(KEK)でした。そこにいる筒井泉(つつい・いずみ)先生の研究室に入りました。
KEKでは基本的に好きなようにさせてもらいながら、筒井先生といろいろ議論をしたんです。結局、筒井先生に『やろうとしていることはわかるけれど、量子論自体、調べることはたくさんあるから、まずは量子論をよく理解するのはどうか』と諭されました。それで筒井先生のもとで、修士と博士課程を過ごして、博士論文として『同種粒子系における量子もつれ』を書きました。
平たく言えば、『量子もつれ(エンタングルメント)』は、量子情報のリソースとなる重要なものなのですが、それはそもそもどう定義されるべきものなのかという内容です」
博士論文は、量子論を理解したいという佐々木さんの知的エネルギーがそのまま転写されたような内容だった。博士論文は無事審査を通り、佐々木さんは博士号を取得した。ただそこから先の研究者としてのプランは明確なものではなかった。
「そのまま大学の研究室か研究機関でポスドクとして研究職に就くことを考えてみたものの、単純に基礎理論としての量子論をやってきたのであまり行き先がないと考えました。それで相談したのが、博士論文の副査をしてくださった東京大学の小芦雅斗(こあし・まさと)先生です。いま所属している研究室のボスです。
ストレートに『行き先ありますか』と訊いたところ、『あるけれど、君のやってきたことと違って、量子鍵配送をやることになるけれども、それでいいか』と返ってきた。僕は素直に『構いません』と答えました。
こうして小芦研究室で量子鍵配送の研究を始めることになるのですが、量子でもいままでやってきたこと違って本当にゼロからの学び直しに近かった。当時、研究室には修士1年の学生がいましたが、知識としてはその下からのスタートで、なかなかハードでした。
量子鍵配送の理論は詳細まで追うとすごく入り組んだ構造で、さっぱりわからない。それでもやり始めると結構相性がいいことがわかってきました。量子力学の性質をフルに使うので、量子論を博士課程までやってきて培った直感やイメージみたいなものはかなり使えましたね」
ただ量子鍵配送の研究に取り組むまでにはかなり時間がかかっている。理論物理学者として腑に落ちないことが現れたからだった。佐々木さんは小芦教授に疑問をぶつけていった。
「理論を一通り追ってみても正直まったく腑に落ちないので、理論にどこか穴があるに違いないと思い、いろいろ反例だろうと思うものを考え出しては小芦先生に挑みに行くということを繰り返していたんです。
小芦先生とは博士課程の時に出会っていました。最初の出会いは、僕が参加したFIRST最先端研究開発支援プログラム量子情報処理プロジェクトの沖縄研修会でした。小芦先生はそこに講師としてきていましたが、質疑対応してもらった時、こちらの質問の意図を汲み取ってピンポイントの回答をしてくれる人だな、という印象を持ったんです。
次が博士論文の副査を引き受けてもらった時。
こちらが大まかに説明しただけで、『こうしたらどうか』と研究についてのアイデアを言われて、しかもそれが僕も想定していなかった内容だったので、改めて“すごい”と思ったんです。
だから僕としては小芦先生との議論は楽しみでもあって、結構軽い気持ちで議論を続けていたんです。
でも半年ほどそういったことを繰り返したある日、小芦先生に『佐々木君は僕の理論を本当に信じてないんだね』と言われてしまったんです。でも決して機嫌を損ねた風でもなく、小芦先生はその後も議論に付き合ってくださいました。結局小芦先生との議論は1年近くに及びました。
僕は修士と博士課程をKEKで過ごし、研究内容もマイナーで、また筒井先生も自由にさせてくれたこともあって、マイペースで研究することが染み付いていたのかもしれません。小芦先生も好きにやったらいいというタイプだったので、研究成果は出ないものの、僕自身、量子鍵配送理論についていろいろ考える機会が得られたと思っています。
実際、その後小芦先生とPhysics & Informatics Laboratories の所長でスタンフォード大学名誉教授の山本喜久先生から言われてDPS(差動位相シフト)という量子鍵配送方式の亜種の研究に取り組んだところ、面白い結果が出て、その論文が『Nature』誌に掲載されました。
抱えている研究も増えてせわしない現在の状況からすると、忙しい小芦先生と1年にわたって議論できたというのは、振り返っても“なかなか”の体験だったと思いますね」
高校時代、佐々木さんに研究者という道を志すきっかけを与えた「ソクラテスの弁明」。著者であるプラトンが師のソクラテスと交わしたであろう知の問答を、佐々木さんはまるで再現するかのように、師である小芦教授や筒井教授と交わし続け、研究者としての現在地まで歩んできた。
その研究テーマは、量子鍵配送から暗号証明、量子インターネットと広がっている。コロナ禍のなか研究は在宅中心であるものの、東京大学講師として教壇に立つほか、次世代の量子ネイティブの育成のために全国の高校や中学校にも赴いて、アウトリーチ活動も行っている。
価値のある未来であるために、わからないことを整理・解明しながら、真なるものに少しずつ近づこうと、日々佐々木さんはゲーミングチェアの上で思索を巡らせている。
1つは量子鍵配送の安全性証明の研究を行っています。実験装置とやり方を想定して、その装置を使って通信した時にその通信が安全であることを証明するというものです。安全性証明では、装置に対して何らかの仮定をして、数学的な変形をさせていって、安全性を保証する不等式が成立することを示します。本質的には、盗聴者にどれくらい通信が漏れうるかを見積もっています。しっかり証明しようとするとさまざまなことを考える必要があり、想定される状況で性能がでるように注意もします。
研究は基本的に紙と鉛筆でやっています。どんな状況でも安全になるように証明は作るのですが、実験に使うパラメーターによって性能である鍵生成効率がかわってくるため、その部分はコンピュータで最適なものを探します。ただ最近は大枠のモデルや理論が抽象化されてきているので、コンピュータに任せる部分が増えてきました。
昔は装置に対しては理想化された設定を仮定していたのですが、最近は国際的な標準化の絡みもあって、その装置の幅を広げていく必要も出てきました。ノイズが出たら、ノイズも含めてモデル化して、最悪でも大丈夫という証明をしなければならなくなるわけです。ですが、場当たり的にモデルを拡張してもそもそも安全性を証明できなかったり、性能が許容できないほど低下してしまったりします。
だからできるだけ仮定を外しても、欲しかった結論を得られる証明手法を探していくようなことをやっています。
量子鍵配送を社会実装しようとすると、装置の性能や標準化などのいろいろな条件があるので、“いまこういう不完全性が懸念されている”というのはリスト化されているんです。標準化は純粋なサイエンスではない部分もありますから、理論家が思うような対策がされるとは限りませんが、そこがどうなったとしてもメリット・デメリットや“どう対応しうるか”という答えは、理論家が用意しておく必要があると思っています。
もう1つの研究は乱数です。量子鍵配送の暗号に似ていますが、原子核乱数という原子核崩壊を使った乱数に取り組んでいます。原子核の自然崩壊を利用するので、予想が不可能でアルゴリズムの乱数のように偏る可能性がないと考えられています。あとはその証明をつけるだけになっているので、その研究をしています。
それと最近力を入れているのは、量子インターネットです。従来のインターネットは01のビットですが、量子インターネットは量子ビットを使うインターネット。量子コンピュータをこの量子インターネットでつなぐことで広域の分散処理が可能となり、量子コンピュータの能力を飛躍的に引き上げることができたり、量子鍵配送以外の量子暗号を実行できたり、センサーの能力を引き上げたりします。いまのインターネットもそうですが、利用するためには、どこかが抜けても安定して接続し続ける、全体としてロバストに動くような仕組みをつくっていく必要があります。
去年、子どもが生まれたので、一緒に散歩したりその世話をしたりですかね。
前は妻と一緒に旅行に行ったり、ホテルでアフタヌーンティーをしたりというのが楽しみだったのですが、子どもが生まれてからはそっちが中心ですね。
あと割と辛いものが好きで、自分で麻婆豆腐をつくったりしています。妻も美味しいと言って食べてくれます。ただ最近は子どもに合わせているので、控えていますけど。
最近大学でも教えるようになったので、大学にも行きますが、基本は在宅です。定期的にオンラインで会議をしたり、それ以外に考えるテーマがいろいろあるので、それを考えるということをしています。基本は紙と鉛筆で計算したりしています。
ずっと座りっぱなしなので、子どもが生まれて健康を気にするようになったこともあり、最近椅子を変えました。「椅子はちゃんと投資しないと腰に来るよ」って知り合いからアドバイスも受けたので、検索してコスパのいいゲーミングチェアを「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で買いました(笑)。6万円くらいですから、かなりの価格ですよ。でも投資しただけの効果はあると信じてます。
やはり、いままで自分がよく理解していなかったことの解像度が上がった時、ごっちゃになって理解していたものが、整理されて理解できた時は結構嬉しいですね。
基本的にわからないことをよく知りたいという欲求があって、そこに対する喜びですね。
博士論文はそこの理解を進めようと取り組んだんです。なぜこんなことが起こるのだろうと考えた時に、実は自分でも認識していなかった仮定があって、それはいろいろな場面に当てはまっていたので暗黙に考えていた。でもそれはちゃんと意識していなければならなかったことで、それを意識していくと、より広い世界に対して統一的な理解が一気にできてしまう。その喜びがありました。あまり具体的な説明でなくて申し訳ないですけども……。
小芦先生の素晴らしいところは、一緒に議論していると曖昧な理解だったところが明確になったり、詰まっていたらいたでいろいろアイデアを出してくれて理解が進んだりするので、議論していて非常に楽しいんです。これは小芦先生に限らず、多くの先生方が持ち合わせている能力だと思いますが、小芦先生はこの能力のレベルが非常に高いと感じます。
僕が抱いている研究者の理想像は筒井先生で、ある意味主流から離れて、自由に研究をして楽しんでいる感じなんですね。先も言いましたが、小芦先生と1年も議論ができたのは、つくばにいた頃、筒井先生のもとでマイペースに研究ができたからだと思っているんです。
非常に存在意義があると思っています。どうしても研究というのはサプライサイドのロジックになりがちなんです。本当はその研究の周りにたくさんのステークホルダーがいるんです。その人たちの利害関係を調整して合意する場がないと研究や社会実装が先に進んでいかない。
個々の研究者だけが、好き勝手を言っていても何にもならないわけです。そこを意見集約して、社会に訴求していかないと研究が雲散霧消してしまって、せっかくの量子鍵配送自体が実装できずに死んでしまうことになる。サイエンスだけできればいいという考えもあるかもしれませんが、少しでも先に進めてエンジニアリングやシステムにしていくためには、こういう組織がなければいけないし、国際標準を決めていくにしても代表する組織がないと調整できない。日本における研究環境を守っていく上でも不可欠だと思っています。
研究は何をやっても楽しいとは思いますが、得意で好きなものを見つけられるほうがより幸せになれると思います。
高校生や大学の学部生だと知らないことが多く、いろいろ学んでみないとそもそもどんな研究領域があるのかすら認知できないので、食わず嫌いをせずに色々なことを学んで視野を広くしておくというのがよいのかと思います。
研究は普通の仕事よりも不確実性が高く、準備をすれば確実に結果が出るというわけではありません。思ったように結果がでないこともありますが、それでも何とかしようと一生懸命頑張っていると、誰かが見ていて評価してくれたりする。
語弊があったらいけないのですが、もしかしたら、あまり先を考えない人のほうが研究者に向いているのかもしれませんね。