量子計測・センシング技術推進委員会若手インタビュー インジウムイオン+イッテルビウムイオンの共同冷却によるイオン光時計の研究開発
情報通信研究機構 時空標準研究室 研究員、理学博士 木原 亜美
日本の時刻を決める「日本標準時」を配信しているのが、情報通信研究機構(以下NICT)だ。日本標準時は、現在、3,000万年に1秒しか狂わないセシウム原子時計によって測定しているが、NICTではさらに次世代の高精度な光時計を開発することで、秒の再定義に挑んでいる。NICTの光時計には、中性原子の光トラップを利用した光格子時計とイオントラップ技術を用いたイオン光時計がある。このうち、イオン光時計の開発チームで研究に取り組んでいるのが、木原亜美さんだ。木原さんは、学習院大学平野研究室でのパルス光による量子もつれの研究を皮切りに、イオントラップ中に捕獲された原子の物質波干渉を用いたジャイロセンサ開発に向けた研究に従事した。その経験をもとに、光時計に使うインジウムイオンをイッテルビウムイオンで共同冷却するシステム構築に着手。さらに効率のよい時間計測方法の開発を目指している。
(聞き手・写真:増山弘之)
量子との出会い~イオン光時計研究にいたる道のり
―物理学との出会いについてお聞かせください。
子供の頃から身の回りの様々な現象に興味がありました。一人っ子だったこともあり一人で本を読むことが好きな子供だったようで、中でも動物や植物の本に興味を示したようです。両親に動物図鑑、植物図鑑、人体図鑑や世界地図などの本を沢山買ってもらい、それらを読むのが好きでした。住んでいたのが埼玉だったので、図鑑に載っている動植物たちが身近に存在していて、近所の幼馴染と図鑑片手に調査をして遊んでいました。また、通信教材などで、夜空の星座を見ながら、あれが何座だ、とかひとつひとつ照らし合わせて憶えていくのも楽しかったです。こういった環境もあって中学生の頃には理科が一番好きな科目となりました。
高校生になると理科も専門化していき、ますます面白くなっていきます。中でも生物と物理が好きで、内部進学で大学に上がるときには、生命科学科と物理学科のどちらに進学するかとても迷いました。高校3年のある日、物理の宿題を忘れていて、遅れて提出しに行ったとき、宿題と引き換えに先生から「もしよければ参加してみないか」という意図でいらしたと思うのですが、あるイベントのチラシを受け取りました。
それは、物理の実験と小柴昌俊先生の講演会がセットになった、読売新聞社主催の「高校生講座」というイベントでした。装置を作ってオシロスコープに繋いで宇宙線を見たり、霧箱を使って放射線のふるまいを知る実験を体験し、目に見えないものが装置を作って工夫することで見えるようになるのが凄く面白いなと思いました。小柴先生の講演会では、「スーパーカミオカンデは、実は失敗だらけだった」というお話を聞き、ノーベル賞受賞という輝かしい成果の裏側にある苦労を知りました。しかし、トライ・アンド・エラーを繰り返すことで、宇宙の真理に迫っていけるのだというお話をいただきました。小柴先生の諦めない姿勢がこれまで誰も成し遂げなかったことの達成に繋がったという話に大いにインスピレーションを受けたこと、そして実験教室で「見えないものを、装置を使って観測する」という面白さにハマり、これが大学で物理を選ぶ決め手となりました。
-量子力学を専攻した理由は?
量子力学に惹かれたのは、それまでの自分の常識が通じないところです。量子の重ね合わせ状態や、測定するまで状態が決まらないといった、今までの人生で経験してこなかったことが起こる。この分野を専攻する人には多いかもしれませんが、量子がもたらす様々な現象の不思議さに魅入られたということですね。
そんな理由で学習院大学の学部3年生から4年生に上がるときに、量子もつれ(エンタングルメント)や量子暗号、そしてボース=アインシュタイン凝縮体(BEC)を研究している平野研究室を選び、パルス光源を用いた連続量エンタングルメントの研究に取り組みました。連続量エンタングルメントとは、例えば粒子の位置や運動量といった連続スペクトルを持つ物理量の間で生成された量子もつれの事を指します。実際の実験では光の直交位相振幅という光の波のsin成分、cos成分の振幅を2つの物理量とし、これらの間でもつれた状態を作ります。生成したエンタングルメントを2つに分けてそれぞれで2種類の振幅を測ると、それらの間には相関が生まれているのです。この相関が強ければ強いほどより質の良いエンタングルメントができたと言えます。質の良いエンタングルメントは量子コンピュータへの応用や、量子鍵配送に資する実験となっています。
-その次は、イオンジャイロの研究に取り組まれています。
将来的に研究を続けるにあたり、一つのことを深めていくことも重要なのですが、もっと幅広く、ちょっと毛色の違った分野も研究したいと思っていました。博士課程3年次の時、とある研究会に参加してみると、東京工業大学の先生から、大阪大学で研究者を募集しているとの話を聞きました。これがイオンを使ったジャイロスコープの研究で、非常に興味をひかれ応募することにしました。
イオンを使ったジャイロスコープは回転計測に使います。既存の光を使ったジャイロスコープと比べるとイオンや中性原子を使ったジャイロスコープは同じ干渉面積でも感度が飛躍的に向上できます。イオンジャイロスコープは同じ軌道を何度も周回することで干渉面積を増やすことができるため、高感度かつ設備を小型化できる可能性があり、その点では実用面において有利です。私のいたグループではイオントラップは電極に高周波電場をかけてイオンをトラップするのですが、このときお椀のような形のトラップポテンシャルが出来ます。その中に、まずイオンを閉じ込めます。そして、下準位にいるイオンに、ある時間幅のRFパルスを当てるとイオンの状態は下準位と上準位の重ね合わせ状態となります。
そこに今度はある長さの時間だけ対向方向に2本のパルス光を当てると、イオンはラマン遷移を起こして上準位にいた状態が下準位に、下準位にいた状態が上準位に移ります。2本のパルス光はこの準位の移動(スピンフリップと呼んでいます)の際にともに同時に反対方向に運動量を与えることができます。お椀の底にあるイオンが、スピンフリップに伴って運動量を受け取ると、2種類のイオンの波束がトラップの中で反対方向に直線運動を始めます。
その途中でトラップのお椀の中心を急に動かすと、直線的に運動していたものが、円軌道を描くようになります。一定時間経ってからトラップの中心を元に戻し、もう一度パルス光を打ってイオンの波束の運動を止めた後、RFパルスを打ってからイオンがどちらの準位にいるかを測定します。
装置が回転していなければ2つのイオンの波束は一定時間たつと初めの位置に同時に戻ってきますが、もし装置が回転していたら2つの波束が出会う位置は初めの位置からずれてしまいます。そうすると回転していない時は2つの波束は同じ距離を移動したところで出会いますが、回転していると片方の波束のたどった距離は短くなり、もう片方は長くなるため2つの波束の移動距離が一致しなくなります。すると回転していない時と回転している時では最後のイオンの状態が変わるのです。その変化を見ることで回転計測を行うという仕組みになっています。
私がこの研究に参加した時点では、2つのイオンの波束を1次元方向に運動させて干渉をみる実験は既に海外のグループが実現させており、まずはその実験を再現してから2次元円軌道の干渉に挑戦しようという計画でした。着任してから2年で1次元干渉実験の再現に成功し、さらにイオンに運動量を与える方向を変えてみたところ3次元干渉を観測することもできました(原子イオン物質波の3次元的な干渉を初めて観測することに成功し、Phys. Rev. Lett. 126, 153604 /2021に掲載される)。
今はグループを離れてしまいましたが、現在もジャイロスコープ開発に向けた研究は進んでいるようで、最近では2次元円軌道の実現に向けてトラップ中心を高速で移動させる実験にも成功したそうです(arXiv:2103.16308)。
-光イオン時計の研究に移られたのは?
次のキャリアを考え始めた時期に、せっかくイオントラップの研究に関わったのだからできればイオントラップを使った他の研究に挑戦してみたいと思うようになりました。その時にちょうどNICTのインジウムイオン光時計の開発の公募を見つけて、興味を引かれたので応募しました。イオントラップに関する知識が活かせ、イオンジャイロもクロックも精密計測であるという共通点があり親和性があるなと思いました。
秒の再定義に挑むNICTでの研究
-NICTでは、日本標準時を生成・配信しつつ、最先端の周波数標準の研究も行なっています。
NICTは日本標準時信号の発生と配信を担う国立の研究機関として、現在の1秒の定義に使われているセシウム原子時計より、さらに高精度な周波数標準の発生方法についての研究を行っています。次世代の周波数標準の候補の一つとされるストロンチウム光格子時計だけでなく異なる原子種、異なるシステムであるインジウムイオン光時計の研究を進めていて、2つの光時計の周波数比較実験も行っています。
異なる種類の光時計の開発を行う利点としては、周波数測定で間違いが起きた際にすぐに気づけるという点があります。もし同種の原子で2つの時計を作っていたとすると、共通する何かでミスが起きた時に気づかない可能性があります。ですが異種の光時計であれば片方でミスが起きていたらもう片方と比較した時に何かがおかしいと気づけます。NICTは日本標準時を配信する機関として、時刻の信号に間違いがあってはいけませんし、間違いがあったとしても、時間は遡って修正することもできません。時刻を配信するという重要な役割を持つ機関だからこそ、間違いがあってはならないという責任があるため、2種類の時計を持つ必要があるのです。
-光イオン時計は、イオンをトラップして時間を計測するわけですが、時計としての測定はどのように行うのでしょうか?
原子やイオンは、ある特定の周波数の光を吸収すると他のエネルギー準位に遷移し、光子を放出すると元の準位に戻るという動きをしますが、遷移する周波数(振動数、あるいは波長)の値は決まっています。レーザーで当てる光の周波数がこれらにぴったり合うと、エネルギー準位の遷移が起きますが、少しでもズレていると微動だにしません。
ぴったり合った周波数を共鳴周波数と言いますが、エネルギー状態が遷移する、つまり共鳴する周波数を確認するためには、細かい桁レベルで異なる周波数のレーザーを順々に当ていく必要があります。ちょうど、ぴったり合う周波数を変調器で細かく調整し、数桁目まで細かく、0、1、2、3、4、5・・と振ってあげると、あるところで共鳴して原子やイオンが光る(逆に光っていたものが共鳴したところで光らなくなる場合もあります)ということが起こります。これで共鳴周波数がわかり、ここから1秒の基準を作ることが可能となるのです。この遷移周波数はエネルギー準位によって幅の広さが違います。一般的に時計遷移として使われる遷移周波数の幅は1Hz以下のオーダーであるため、共鳴周波数から数Hzズレるだけで全く共鳴しなくなってしまいます。そのため、イオンや原子を使った光時計は非常に精度が良いということがわかるかと思います(インジウムイオン光時計で利用する時計遷移周波数は1267 THz で、インジウムイオンが、1267兆回振動する数を1秒とする。これにより、セシウム原子時計の精度10の-15乗の1,000倍、10の-18乗の精度を実現できる)。
-NICTのイオン光時計の特徴は?
NICTのイオン光時計は、カルシウムイオンとインジウムイオンの共同冷却によるイオントラップを特徴としています。インジウムイオンは単独で捕獲することが難しいので、カルシウムイオンを先に捕獲して、冷やしていき、そこにインジウムイオンを投入する。そうすると、冷えているカルシウムと、インジウムがぶつかって、インジウムも冷やすことができる。これが共同冷却です。
カルシウムをイッテルビウムに変える理由
-カルシウムをイッテルビウム変える提案はどのような意味がありますか?
従来方法では、質量40のカルシウムに質量115のインジウムをぶつけることで、カルシウムを冷やすための冷媒として使うわけですが、共同冷却において冷やしたいイオン種と冷媒となるイオン種の質量比は1に近いほど効率的に冷やされることが知られています。イッテルビウムは質量171なので、カルシウムをイッテルビウムに変えると質量差を縮めることができます。また、質量171のものに対して質量115のものをぶつけても質量171のほうが重いのでより安定して冷やせるのではないかと考えています。
-そもそもインジウムはなぜ単独で捕獲しにくいのですか?
イオンを捕獲して冷却する際、イオンのあるエネルギー準位間を遷移する特定の周波数に対応した光を当ててドップラー冷却を行います。カルシウムだと基底状態2S1/2と励起状態2P1/2間の波長397nmの遷移が22MHzの周波数幅を持っていて、ドップラー冷却に使われている遷移になります。これくらいの幅だと、イオンが光を吸収・放出するサイクルが早いためレーザーの輻射圧による冷却が十分可能であり、単独で捕まえて冷やせるのです。ちなみにイッテルビウムで冷却に使う遷移は基底状態2S1/2と励起状態2P1/2間の波長369nmの遷移で、周波数幅は19.6MHzとカルシウムと同じくらいの幅があり、単独で捕まえることができます。
一方、インジウムでは冷却の遷移として基底状態1S0と励起状態1P1間の波長159nm、周波数幅204MHzの遷移があります。しかし159nmという波長は真空紫外領域となってしまい、光源の生成が難しいことからこの遷移を使った冷却は未だ実現していません。そこで代わりに使われているのが基底状態1S0と励起状態3P1間の波長230nmの遷移です。しかしこの遷移の周波数幅は360kHzと狭く、イオンが光を吸収・放出するサイクルが遅いことから高温でトラップ内に入ってきたインジウムイオンをレーザーの輻射圧で冷却するのは難しいのです。
-今後の研究の具体的な進め方について教えてください。
実験装置を並べて、いきなり共同冷却というわけにもいきませんので、まず、今年度中に、171Yb+よりもエネルギー構造がよりシンプルで捕獲しやすい174Yb+のトラップを実現したいと考えています。そのために、イオンをトラップに入れるためのYbオーブンを製作したり、4種類のレーザーのセットアップ(Yb原子をイオン化→399nm、イオンの冷却→369nm、目的外の遷移に移ったイオンを元の遷移に戻すリポンプ→935nm、760nm)を行う予定です。また、同時に115In+イオンのトラップの準備も同時に行いたいので、そちらのオーブンの準備や光源の準備もするつもりです。
174Yb+イオンでイオンの捕獲・冷却が確認できたらポテンシャル中で安定してイオンを捕獲できるようにトラップにかける電圧値の調整を行い、115In+イオンの捕獲・共同冷却も実現できればと思っています。まずは174Yb+イオンと115In+イオンで共同冷却を実現させた後で冷媒イオンを同位体である171Yb+イオンに切り替えて171Yb+イオンの振動量子数を制御して、より低い温度まで冷却し、光周波数測定にトライしたいと思っています。最終的には周波数測定の精度が最高クラスの10-19の達成を目指しています。
研究者として考えること
-今後の夢を教えてください。
イオン時計の目標としては、まだ実現されていない複数個イオンでの光時計を実現したいと考えています。また、複数個イオンで量子もつれ状態を作り、光時計の更なる安定性向上を目指したいです。
将来的には小型かつ高精度なイオン光時計の開発もしたいですね。現状では多くのイオントラップの装置は大きくて複雑で、工場で一から作ると物凄いコストがかかることが想定されます。これを、まずは持ち運びができるようにして、気軽に計測ができるようにしたい。
最近海外のグループが小型のイオントラップ装置の開発について発表していて、いつかNICTでも同じようなものを実現させたいなと思いました。インジウムイオン光時計を小型化していくつも作れれば、色々なところに置いて周波数比較を行うこともできると思います。
ストロンチウム光格子時計では、すでに東京スカイツリーの高低差を図り、時計がセンサーとして、高さも図れる(相対性理論により、高い位置にある時計は早く進む。地上の時計との時間の差を測ることで、それを元に正確な高さが測れる)ことを実証しています。小型かつ高精度なイオン光時計の開発が実現できればいろいろな場所で重力勾配を測ったり、地表の微妙な励起を測定して未然に自然災害に対処したりといったこともできるのかなと思っています。
-研究者の研究環境についての課題感、量子ICTフォーラムに期待することは?
研究者のキャリアを考えるとき、相談できる窓口が限られているという課題がありますね。次のキャリアを求めて応募したい人がいる、一方で、こういう研究者が欲しいという機関側のニーズに対して、マッチングがズレていることもあります。
そもそも量子分野の場合、キャリアのマッチングは難しいと思っています。働きたい場所と、ポストの関係とか、もちろん数が少ないこともありますが、仲介してくれる機関があったらいいのにと思います。
もう一つは、量子技術のアウトリーチができる人が少ない。量子コンピュータの記事を最近よく見ますが、研究者仲間のなかで「内容が間違っているんだけどな…」という声をよく聞きます。しっかりとした物理学的背景がない状態での記述が多いため、根拠が脆弱であったり、事実と違っていたりするわけなのですね。一方、大学の先生や研究者はただでさえ忙しく、一般向けの情報発信は負担が大きい。もちろん外部資金を受けている場合はお金をいただいている以上、成果を発信する必要はあるのですが、なかなか大変だなあと周りを見てても思うことがあります。
アウトリーチ専門人材がどれくらいいるのかわかりませんが、元研究者の次のキャリアとして一般向けの記事専門の書き手がいると研究者の負担も減るのかなと思っています。もしかしたらすでにあるのかもしれませんが、ネクストキャリアのためにアウトリーチ専門人材育成ための講座とかがあるといいなと思います。
-ありがとうございます。量子ICTフォーラムでも、ご指摘のマッチングについては人材交流支援をちょうど始めたところです。最後に、尊敬する科学者など、研究生活に影響を及ぼしている人についてお伺いします。
科学者を挙げるとすれば、進路決定のきっかけとなった、小柴先生になるかと思います。また、科学者ではないのですが、両親を尊敬しています。父は高卒で沖縄から出てきて、通信関係の仕事を手掛け、開発途上国で通信の鉄塔を建てたりしていました。独力で語学力を鍛え知見をためて、外資IT企業での仕事をし、今では外資系企業に対しての人材キャリアコンサルティングをやっています。自分の力で道を切り開いていく、この父から教えられたのは「自分で決めろ」ということです。母も自分の人生は自分で決めなさいということをよく言っていて、私の進路に口を出すこともなくやりたいようにさせてくれました。
また、両親からは「人と違うことをやれ」とも良く言われていました。そういったアドバイスが今に生きています。ただ、結婚するときに、夫のご両親の前で、「こいつ、人と変わっているんですよ」なんて紹介されて。「人と違うことをせよ」と言ったのはあなたでしょと思いましたけどね(笑)。