量子計測・センシング技術推進委員会若手インタビュー 猫状態の基礎理論を磁気センシングに応用

産業技術総合研究所 新原理コンピューティング研究センター 龍田 真美子

磁気センシングと言えば、私たちにもっとも身近なのは、スマホの磁気センサーだ。磁場を計測し、スマホ本体に出力される電圧の差によって北がどちらかを示す。この磁気センサーは、金属探知器としても活用できる。スマホ用に金属探知のアプリが公開されているのもそのためだ。他にも、MRIやNMRなど、磁気センサーが活躍する場面は多い。これら磁気センサーに、量子技術を活用すれば、飛躍的な感度向上をもたらすことができるという。この磁気センサーの性能向上に役立つ、基礎理論を生み出し、日々磨きをかけているのが龍田真美子さんだ。今後、絶対零度に冷やすことなく、有限温度での量子センシングに成功すれば、将来的には持ち運びできる様々な高感度量子センサーが社会実装されるかもしれない。龍田さんは、紙と鉛筆派の基礎理論家だが、実際のデバイスを理解している量子センサー理論の研究者は、日本では希少との定評がある。

(聞き手・構成・撮影:増山弘之)

量子状態に隠れている猫を求めて

――研究内容を教えてください

現在は、量子重ね合わせや、量子もつれ(エンタングルメント)による、磁気センサーの感度向上に役立つ基礎理論の研究に取り組んでいます。もともとはシュレディンガーの猫に象徴される「猫状態」、つまり、マクロに異なる状態の重ね合わせの基礎理論に興味を持っていましたが、最近では応用を視野に入れた理論構築に関わっています。熱平衡状態の磁化をシャープに測ることで「猫」を作る研究から始まり、今に至っては超伝導磁束量子ビットや電子スピン集団の「猫状態」に関しての研究も進めています。その過程で、応用にかかわる他の研究者の方々との連携も行い、共著の論文もいくつか発表しました。

私の中では、「猫状態」がキーワードになっているのですが、特に、「一般化猫状態」と呼ばれるクラスの状態に注目しています。これは、巨視的(マクロ)に異なる状態の重ね合わせについて、通常考えられているような2状態の重ね合わせだけでなく、3状態以上の重ね合わせ、およびその混合状態を含んだもののことです。この一般化された猫の状態は、巨視的に異なる状態間のコヒーレンスを抽出するインデックス、「indexq」を使用して定義しています。指数関数的に多数の状態の古典的な混合を含む、多種多様な量子状態が、この基準によって一般化された猫の状態として識別することができるのです。

図は、量子センシングに量子状態を使用する場合の、与えられた量子状態の純粋度(右に行くほど大きい)と推定誤差(下に行くほど悪い)との関係を示している。ハイゼンベルクスケーリングと呼ばれる、推定誤差について量子力学が原理的に許す究極のスケーリングが可能であると知られていたのは、すべてのスピンが上向きの磁化を持つ状態と下向きの磁化を持つ状態の重ね合わせであるGHZ(グリーンバーガー=ホーン=ツァイリンガー)状態(青)のような、特殊な純粋状態だけであった。スピンスクイーズド状態(緑)も量子的にもつれた純粋状態で、古典的なセンサーにとっての限界である標準量子限界を超える例として知られている。一方、スピンに相関がなく、量子もつれがない状態(紫)では、純粋状態であっても混合状態であっても標準量子限界を超えることができない。龍田さんは、『一般化猫状態』(赤)が(青)の状態と(緑)の状態の一部を含み、混合状態であってもハイゼンベルク限界を達成することを示した。

ノイズのない磁場検出に「一般化猫状態」を使用すると、ハイゼンベルクスケーリングを達成することがわかります。さらに、ノイズの一種である位相緩和(コヒーレンスの減衰)がある中でも、一般化猫状態すべてが標準量子限界を超えるスケーリングを達成することができます。

――標準量子限界の突破やハイゼルベルグ限界の達成にはどのような意味合いがあるのでしょうか?


磁気センサーの感度向上は、生体内の磁場分布を調べる医学的応用や、鉱物に記録された地磁気の変化を調べる地質学的応用など、幅広い分野で必要とされています。

その中で、量子計測の面白さは、古典的なセンシング精度を大きく上回るリソースとして、量子重ね合わせや量子もつれなどの量子特性を使用することにあります。感度向上の一つの目標指標として、標準量子限界を超え、ひいてはハイゼンベルク限界に近いセンサー感度を達成するというチャレンジがあるのです。

磁気センサーの感度について、もう少し説明すると、古典的な状態のみを用いた場合、測定精度が標準量子限界と呼ばれる`1/sqrt N`に止まります(Nは測定に用いるスピンの数)。一方で、GHZ状態などの特殊な量子もつれ状態を用い、ノイズのない特定の条件下であれば、感度がハイゼンベルグ限界と呼ばれる`1/N`でスケールして、標準量子限界よりさらに、`1/sqrt N`倍良い精度が得られることが原理的に知られていました。そこで、近年の実験技術の向上とともに、各方面でハイゼンベルグ限界に迫るセンサーの開発が進められているのです。

その有望な方法として、「一般化猫状態」の活用が位置づけられます。今までは、極低温での猫状態の観測はすでに実現していますが、有限温度(極低温でない状態)においても熱平衡状態にシャープな射影測定を行うことで、指数関数的にたくさんの状態が混合された「一般化猫状態」が得られることが分かりました。これにより量子限界を突破して、センサー感度の桁を上げうることを、理論的に示せたのは大きいと思います 。

――この研究が発展してきているということですね

はい、次はより実験に近い系に「一般化猫状態」を応用しています。環境と電子スピンが相互作用する際には、電子スピンの状態に関する情報を保持できる時間の限界が存在するわけですが、電子スピンと磁場を相互作用させる時間を、環境の持つ相関時間よりも短くすることでノイズの影響を抑えて、磁場センサーの感度向上ができることはすでにわかっていました。

そこで私たちは、超伝導磁束量子ビットと電子スピン集団の結合系に「一般化猫状態」を用いることで、量子もつれ磁場センサーを実装する方法を理論的に提案し、現在論文を執筆しています。この手法は、超伝導磁束量子ビットの高い制御性と電子スピン集団の長いコヒーレンス時間を利用する点を特徴としています。

具体的には、量子もつれの生成と読み出しの時のみ磁束量子ビットと電子スピンを相互作用させて、磁束量子ビットにかかるノイズが電子スピンに伝搬するのを防ぎつつ、電子スピン集団を高い精度で制御することを可能としました。この手法の実装がもし実現すれば、現在用いられている磁場センサーよりも三桁程度の感度向上が見込めることになります。

センシング理論を生み出す猫状態への関心

――猫状態への興味はどのように生まれたのでしょうか?

量子系でものごとを考えるときは、ある物理系の状態に着目します。その状態が何であるかは、ある物理量に対して、こんな値を持っている、こんなゆらぎをもっているということを計測し、そこから全体の性質を調べるという方法を取るのです。物理量にはいろいろありますが、古典物理学ではどの物理量も同時に高い精度で測定することが原理的に可能なのに対し、量子力学ではそれが不可能だという面白い性質(不確定性)があります。わかりやすい例では、電子の位置と運動量を同時に決めることはできない、というものですが、同様に複数の方向のスピンの値を決めることができない、というものもあります。

私の場合、「スピン集団について、ある方向に磁場がかかっているけれど、それと異なる方向の磁化を厳密に定めようとすると、その集団は統計力学的に異常な性質を持つが、これはどういうことか?」こんなテーマで研究してみてはどうかと。これが大学院時代にご指導賜った、清水明先生に頂いたお題でした。

修士1年目は、何だかわけがわからなくて、答えらしきものが出せなかったのですが、2年目のあるとき、アイデアが急に閃いてきました。一方向の強い磁場の性質が定まっている場合その方向に強い磁場がかかっているけれども、このときそれと直角方向の磁化を射影測定してみると、系がもつゆらぎはどうなっているのか? 早速計算してみると、この異常な状態がまさに「猫状態」になっていたのです。このとき猫の面白さに目覚めました。

――その猫状態が磁気センシングに使えると気づいたきっかけは?

研究成果を修士論文にして、日本物理学会で発表した時に、産総研の主任研究員、松崎雄一郎さんにお声がけいただきました。松崎さんは、たまたま清水研の先輩でもあり、このテーマは非常に興味深いのだとのこと。

松崎さんがおっしゃるには、「猫状態はセンシングに使えるはず。実際に使えるかどうか、磁場に猫を探したとき、感度がどうなるか計算してみませんか」と。そこで、博士課程では、センサーの感度向上を視野に入れた研究に取り組むようになったわけです。

――博士課程からの継続研究をそのまま産総研を舞台に展開されているということですね。

産総研全体では、基礎研究に取り組む方はそう多くはないのですが、松崎さんは、基礎も実験もよくわかっている方で、ポスドクやリサーチアシスタントを集められていて、基礎理論に強いチーム作りをされていました。

私としても、産総研には良い研究環境があるという印象を持っており、博士課程修了後、学振PDに応募し、松崎さんのもとで研究させていただくことになりました。こういった経緯で、2020年の4月から産総研をフィールドに研究活動を行っています。

社会実装へとつなぐ基礎理論

――そもそも物理や量子力学に惹かれたのは?

実は、父が大学の研究者で、子供のころから、その影響を強くうけました。数学者の父は、自由な発想で研究に取り組んでおり、仕事が楽しそうに見えました。学会での出張もあり、たまに、同行させてもらって学会の同僚の先生のご自宅で遊ぶなどといったこともありました。このような環境だったため、いつの間にか自分でも、将来は研究者になりたいと思うようになっていました。

その中で、理系分野を魅力的に感じたのは、社会課題を解決するといった答えのない分野と違い、カチカチっと答えが鮮明に出せるからです。小学校のころから算数や数学は得意でしたが、高校になると物理の授業が始まり、特に物理に感心を持つようになりました。

大学生になると、1年生のころに受けた、先述の清水先生が書かれている熱力学の教科書とそれに基づく講義が大変分かりやすく、先々は先生のもとで学んでみたいと考えるようになったのです。清水先生は量子物理学、物性基礎論がご専門で、清水研では、ミクロ量子系からマクロ量子系へのつながり、非平衡統計力学、量子測定に伴う測定誤差と反作用、これら相互の関連など、基礎的・原理的問題に取り組んでいます。

清水先生は熱力学にせよ、量子力学にせよ基礎理論の重要性をことあるごとに仰いましたので、自然と基礎理論の重要性に感化されていきました。

――応用とつながっている基礎研究はそう多くはないのと思うのですが、基礎研究が応用へとつながる可能性が見えたのは何かきっかけがあったのでしょうか?

博士課程のころ、ハーバード大学に留学したことがあります。研究現場は、実験中心の研究室でした。そこでは、ダイヤモンド中にあるNV中心と呼ばれるスピン系を使い、将来センサーとして活用すべく、センサーの感度を上げるための研究がなされていました。

私は、ある条件で磁場をかけるとスピン集団はこういった挙動をするはずだという、スピンの振る舞いを理論化して協力しました。自分では、そんなに難しいことをしたつもりはなかったのですが、研究室の面々には大層感謝されました。このとき、基礎理論が応用と手をつないでいくのは良いなと思いました。

――コロナの影響もあると思うのですが、基礎理論の研究というのは実際にはどのように進めているのでしょうか

基本、紙と鉛筆での仕事になりますので、場所を選ばず、どこでもできます。現在はほとんど在宅で進めています。産総研のチーム全体では、オンラインミーティングで、週一の進捗を報告し合うというようなコミュニケーションをとっています。ミーティングでは、この考えは実装ができそうで面白い、これは無理かもしれない、などといった議論をしています。私はその中で気になっていることを式に置き換えて計算していくということをやっています。

――今後の研究の夢は?

そもそもの量子力学のファンダメンタルな面白さは、重ね合わせと、量子もつれ、そして非可換性の3つにあると思っています。今取り組んでいる、「猫でセンシング」のテーマはこれらをすべて満たしています。もっと猫状態をいじって、面白いことをやっていきたいですね。

父の影響もあると思いますが、私の研究スタイルは、キュリオシティ・ドリブンなので、好奇心の赴くままに、考えたことを数式化していきます。基礎理論に取り組む研究者にはコンピュータを使ってシミュレーションという方法を取られる方も多いですが、私はひたすら紙と鉛筆で、考え抜いていきます。気になったことは、夢の中でも考えていたり(笑)。

磁場センサーの観点からは、そもそも地球は全体的に磁石ですし、その中の古い鉱物もどれくらい磁荷を持っているかで、組成されてどれくらいの年数がたっているかなどが分かります。生き物などの生体の内部にも磁場を当てれば、非破壊的にセンシングができます。つまり、磁気センサーは非常に多様な応用が可能なのです。また、抽象度の高い物理の基礎理論の特長として、式をいじると、他の物理量が分かるということも魅力です。たとえば、温度が分かったり、電流の強さ、電場の強さが分かったりもするのです。

このように、猫でセンシングの応用範囲はものすごく広いと言えます。これからはできるだけ日常の環境に近い、有限温度でマクロな猫、つまり、温かく大きな猫が作りたいですね。好奇心が心ゆくまで満たされて、なおかつ社会に役立つものができれば最高です。

基礎理論研究者としての日常

――これからは、もう少しリアルなテーマで伺ってみたいと思います。まず、量子ICTフォーラムでは、研究者の方々のお困りごとを解決サポートしたいと思っています。何かお困りごと等はありますか?

そうですね。やはりこの分野は女性研究者が少ないので、参考になる様々なロールモデルの情報が欲しいです。結婚して、ちょうど新しい命を授かったところなので、今後出産して、子育てをしながら研究を続けるにあたって、どうすればよいか戸惑うことが沢山あると思います。現状、凄く業績を残されている年上の方とか、環境がかなり違う方の事例を知ることはできますが、もっと自分に近いいろんな方の声が聞けるとありがたいですね。

――今は、普段どのような生活をされているのでしょうか

夫も基礎理論の研究者で、ほとんど在宅なので、それに歩調を合わせているといった生活になります。8:00に起きて、9:00から仕事をはじめ、17:30には、夫もひとまず仕事を終えるというのが時間的なルーティンです。

私は、生まれてくる子供のためにも、体を動かそうと夕方には外に出ます。近くに小川が流れているのでその周辺を散歩したりしています。家族の健康のために、食事は私が作りますが、いっときに5種類の野菜を食べるというマイルールを定めて、献立がうまく回るよう工夫を試みています。猫状態とは違いますが、同じレシピでなぜかマクロに異なる料理ができて少し驚くこともあります(笑)。

――お子様には、将来研究者になってもらいたいですか?

夫は、いつから無理数を教えようかなどと、半分冗談で言っていますが、研究者になるかどうかは別にして、のびのびと楽しく育って欲しいなと思いますね。