量子計測・センシング技術推進委員会若手インタビュー 量子計測で新たな生物学を創生し社会的課題解決を目指す

国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 量子生命科学研究所 主任研究員 石綿 整

さまざまな病気の診断や治療、病理メカニズムの解明には、細胞内のわずかな生命現象の変化をとらえる次世代の超高感度センサが必要とされている。中でもNVセンタは、細胞内部の温度を1度以下の精度で測定するなど、生命現象を精密計測するナノ量子センサとして注目されている。量子科学技術研究開発機構 量子生命科学研究所の石綿整さんは、薄い膜状にしたダイヤモンド量子センサで、細胞の反応をつかさどる脂質二重層(細胞膜)中のリン脂質分子の動きをラベルフリー計測できる手法を開発。ナノスケールの量子計測を使った生体分子の高感度な解析に取り組んでいる。

(聞き手・構成・撮影:小泉真治)

観測対象が小さいなら、小さなセンサを近づければいい

――ご研究内容について教えてください。

ダイヤモンド量子センサは原子サイズの高感度センサであり、観測対象から10nm以下の領域に形成することで、非常に小さい数の核スピンの計測ができます。東工大での研究から、私はCVD合成法を用いて基板表面10nm以下の領域に量子センサを形成する技術を開発しました。

ただ、量子計測では生体現象を直接据えることはできません。生体現象が計測結果に与える影響は、あくまでも間接的なものです。例えば、基板表面に存在する核スピンを計測した際、量子センサにはコントラストの変化として現れるといった具合です。そうした変化が、生体内の何を表しているのかを確認するには、さらにもう一つのパラメータを利用して計測する必要があります。

そこで、NVセンタの電子スピンを量子操作し、重ね合わせ状態を様々な形で利用することで、高感度温度計測と高感度スピン計測の二つを実現。生体現象としては、スピン計測の温度応答として脂質二重層における相転移現象の計測を試み、ナノスケール量子計測からリン脂質分子の動きを示す拡散係数の計測に成功しました。

NVセンタの量子センサの特徴は、非常に小さいことと、量子コンピュータや量子ビットと同じように高度な量子操作ができることです。基本的には、この2つの特徴をうまく利用したというわけですね。ナノスケールの観測は難しいものですが、それなら小さな観測対象に小さなセンサを近づけて量子計測すればいいのではないか、という発想がコンセプトの根底にあります。計測は、独自の顕微鏡を開発するところから開始しました。

――どういった顕微鏡を開発されたのですか?

生体計測には、湿度や温度、CO₂を管理するなど、生態環境を整えた形で計測できる環境が必要です。そこでまず、顕微鏡にインキュベーターを融合させました。また、共焦点顕微鏡で微小領域を高感度解析した後に、同じ場所を広視野計測できるような工夫も凝らしました。さらに、蛍光プローブの観測も同時に行えるようにすることで、計測対象の状態を蛍光観察しながら量子計測ができます。

自分の使いたいように使える顕微鏡をつくるため、市販の顕微鏡の中身を完全にくり抜いた状態で購入して、独自の光学系を内部に構築したんです。パソコンに例えるなら、PCケースだけ買ってきて、自分でマザーボードを選んで組み立てたようなものですね。

――顕微鏡の開発にあたって重視したポイントはどこでしょうか。

特に重視したのは、ユーザビリティです。次のセットアップへスムーズに移れるように、例えば光の波長を変えたいときには、ブレッドボードを入れ替えるだけで使えるようにするなど、使い勝手には相当こだわりました。顕微鏡のケース内の寸法を細部まで測り、どこに何を入れるとどうなるか全て計算した上で、必要ないものをそぎ落としてシンプルな構造を突き詰めていったんです。今の形になるまで、1年半ほどかかりました。それでもまだ仕上がったとは思っていなくて。次の細胞計測のステージに合わせて、都度改良をしていこうと思っています。

次世代創薬開発や細胞診断技術への応用に期待

――今後のナノスケール量子計測の方向性について、どのようにお考えですか?

エンタングルメントを利用した計測など、NVセンタ側の限界は明確に見えてきていると感じます。先述の通り、量子センサは非常に小さいため、対象物に近づけて観測できるのが特徴ですが、近づける技術の進展はそろそろ限界が見えており、ここ10年はほとんど進歩がありません。核スピンが持つコヒーレンス時間にもある程度の限界があり、量子コンピュータと同じように、多量子体として使うにはそれぞれの相互作用を均一にしなければいけない問題が立ちはだかります。

ただ私としては、現在の感度、つまり1個の電子スピンに対して核スピン1個だけの感度があれば十分だと思っています。これだけで、1個の原子核が見えるまで感度は向上しますから。今後は計測対象のとらえ方や工夫により、生物において何を明らかにするかが、本質的なナノスケール計測の方向性になると考えています。

――どこまで見るかより、何を見るかが重要ということですか?

そうですね。加えて、ナノスケール計測に関しては観測対象側もスピンを持っているわけですから、観測対象側のスピンを上手に定義するほうが有用なのではないかと思っています。結局、最終的な課題は細胞現象であり、生物学であり、病理疾患学にあります。一番に目指すべきは、その課題を上手に見つけてきて、自分の研究で培った技術を融合できるようにすることですね。

――生物学の観点から、量子計測はどういったことに役立つのでしょうか。

私は2022年度より、CREST細胞内ダイナミクス領域において分担代表として生物学者と共同研究を開始しました。そこでは細胞死に関して、どうしてある一定の細胞が消えて、ある一定の細胞が残るのかという理由の解明が期待されています。もう少し詳しくいうと、GPCRという膜タンパク質は、さまざまな細胞応答を引き起こすとされており、これが細胞膜におよぼす影響がはっきり見えてくると、スクリーニングされた細胞の状態をナノスケールから定義できると考えています。すると、細胞死の原因や血液が凝固するメカニズムの解明につながるかもしれません。

また、細胞を診断して細胞カルテのようにナノスケールから定義する細胞診断技術への応用が進めば、次世代創薬開発にも大いに役立つと考えています。現在の創薬は、統計的に8割の細胞には効果がある一方で、2割の細胞には効かないという現状があり、遺伝子レベルで細胞を解析すると「あなたには絶対に効かない薬があります」というのが、はっきり分かります。細胞内ダイナミクスが分かってくると、薬が効かない不治の病と診断された場合でも、別の効果的な薬を提案できるようになってくる。今までは治せなかった2割の方々にも手を差し伸べられる創薬のあり方が実現できるというわけです。

生物に限らず、量子計測は宇宙や極限環境など、さまざまな領域で全く新しい研究領域を築き上げることができると思います。新しい分野の中で量子計測としての入り口を構築した先には、量子情報や機械学習との融合による研究領域の技術的な拡張があり、そしてスケール性の大きくなったものに関しては産業との連携が進むことになると考えています。

若いエンジニアが夢を持てる場を創出したい

――量子計測を研究対象にするに至った背景を教えてください。

私は元々、いわゆる“材料屋さん”だったんですよ。スタンフォード大学の博士課程では材料工学分野の研究を行っていました。ダイヤモンドにも関わっていたのですが、そのときネイチャー誌やサイエンス誌でダイヤモンドを使った量子計測の話題をよく目にしたんです。以前よりダイヤモンドの合成に関わってきた自分としては、最先端の技術がダイヤモンドの中で実現できることにとても興味を持ちました。

2022年度のノーベル物理学賞を例にとっても、量子計測の最大の利点は精度と定量性です。アインシュタインの言っていたことが正しいか正しくないかを証明できるレベルの精度が出せるのは、やはり非常に魅力ですね。それを生物分野に応用して、量子計測でダイナミクスを計測し、これまでとは異なる生物の見方を構築すると共に、量子と生物の間に全く新しい生物学を創生したいと考えています。

実はもう一つ、研究をしていると個人的に感動することがあって。コヒーレンスによる計測結果は振動などで表れます。例えば温度計測では、温度が変わると0.1MHzずつ正確に周波数が変わるのが見えるんです。2原子の間、1nmほどの微小領域の中で起きていることが、周波数の違いとして明確に表れて見えるのは、本当に感動的ですね。新しい実験データが得られたときは、言葉にできないほどの感動があります。私はサッカーが好きで、よく「チャンピオンズリーグで得点したような喜び」と表現するんですけどね(笑)。

――ご自身で開発した顕微鏡でデータが得られるのも、研究者冥利に尽きるのではないかと感じます。

はい。私はあくまで「物理も理解できて生物に興味のある工学のプロ」ですから、実験に使う道具を自分の手でつくり、見えないものを見ることには生きがいを感じます。とはいえ、実は顕微鏡をつくったりプログラミングをしたりという“モノづくりの楽しみ”を本気で実感したのは、30歳を過ぎてからです。

子どもの頃からモノづくりが得意だったわけではありませんが、私はどんなことにも、課題解決に向けて自分なりに考察して実施する「実験の発想」を持って取り組んできました。もっと早く走るにはどうすればいいか、人と話すときにはどう振る舞うことが適切かなど、日常生活でもあらゆる場面において実験の発想を実施してきたつもりです。

それが現在の研究の進め方にも生きていると思います。物事を始めるのに遅すぎることはない、やりたければいつでもやってみればいい。その気持ちを大切に、何もわからない新しい場所に冒険に行くようなつもりで、日々実験に取り組んでいます。生物学はまだ解明が進んでいない分野も多いため、自分の研究から生み出された技術が、世界を悩ますウイルス感染や難病・疾患といった解決すべき手法のない社会的課題の解決へと拡張されていけばうれしいですね。

――その先に見据える最終的なゴールをお聞かせください。

自分のつくったもので世の中を変え、日本の若いエンジニアに夢を持たせたいと強く思っています。というのも、エンジニアが夢を見られる企業が、今の日本には少ないと思っていて。アメリカの若いエンジニアはみんな「頑張ってSpaceXやGoogleに入って活躍するんだ」という夢を持っていますからね。量子技術に限らずとも、半導体デバイス開発やアナログ回路でも何でもいいのですが「ここに来たら世界に通じる製品がつくれて、自分のやりがいを感じられる」という企業が、日本にももっとあっていいのではないでしょうか。

モノを作ったり、新しいものを見たりすることは楽しいことです。それを専門とされるエンジニアは今後、自分の発想から会社を起こしていくべきだと思います。私が学部生や修士過程のときは「研究者は好きなことばかりやって社会で役に立たない」などと言われていたこともありますが、決してそんなことはありません。現代社会においては、発想次第でいくらでも社会で役立てることができます。そして、私自身がそれを証明したい。技術の社会的還元を自らの手で達成し、量子計測で日本に新しいGoogleを築き上げたいと思っています。

度胸と責任を持って自分のやりたいことにコミットする

――プライベートについても伺います。休日は何をされていますか?

子どもと過ごす時間を大切にしています。公園でフリスビーをしたり、一緒にYouTubeを見ながらマインクラフトのコマンドを解説してあげたり。料理もします。最近の得意料理はナポリタン。鉄のスキレットで最後に焼きを入れて仕上げる本格的なナポリタンです(笑)。パスタ系やチャーハンなどの“うま味の追求”は好きですね。

あとは、やはりサッカー観戦です。サッカーはとても頭を使うスポーツで、強くなるためにはどこでどう動くか、常に実験をしているようなものです。ある課題があって、その解決策には何を持ってくるべきなのか。この発想は非常に重要で、思考回路は研究と同じだと思っているんですよ。もうサッカー選手に私の研究室へ来ていただいて、量子計測を教えて、どんどん研究を進めてもらいたいとさえ思っています。研究に対して、研究者と一般の方々の隔たりをなくしたいんです。

――それは他分野の研究や発想も積極的に取り入れていきたいということでしょうか。

SNSやYouTubeで最近ハマっているものを人に話すような感覚で研究にたくさんの人が没頭し、多方面からさまざまな現象を量子の精度と定量性で計測することが今、量子計測の分野において求められていることだと思います。

生物学においては、量子の専門家でない方々から、核心を突いたクエスチョンが生まれることが多いと感じています。というのも、法則を駆使した考察から答えを導き出す物理と違って、生物は“見た者勝ち”。なぜそうなるかはあまり問わずに「こう見えたからこうなんです」という説明が強いんです。ですから、子どものような好奇心を持って「量子で測ってみたらこう見えました」という事例が増えれば、学問としてもより発展すると思います。

そのため、より多くの人が量子に興味をもってもらえるように、2022年度から高校生から大学生、大学院生に向けた講義動画を配信する『量子生命サマースクール』を実施して、量子計測の基礎や考え方の講義を行っています。受講した学生の中には、実際に研究室へ遊びに来てくれた方もいて、いろいろ話していると「石綿さんの研究室に入り浸りたいです!」なんて言ってくれて、うれしかったですね。こうした機会を今後も増やしていきたいと思っています。

――量子計測の分野に興味を持つ「未来の研究者」に向けてメッセージをお願いします。

自分が面白いと感じることを、思いきりやってほしいと思います。新しい分野に飛び込んでいくのは難しく、都度どうしたらいいかわからなくなることがあるかもしれません。しかし、今の時代で価値を生み出すのは「今までに無いこと」であり、自分が今これをするべきだと感じたことにコミットできる度胸は、現代社会を生き抜く上で最も重要なアドバンテージとなります。

興味と情熱の赴くままに、自分がなすべきだと思ったことにコミットする。失敗しても成功しても、自分がやりたいと思ったことに対して責任を持って進めていく。研究に限らず、あらゆる場面で大切なことだと思いますし、私も自分自身をそう律してここまできたつもりでいます。その経験から得られた論文や賞を胸に、今後も量子と生物の間を思うがままに冒険していきたいですね。そして、自分なりのセンスを信じて新しいことに挑戦する責任感や度胸のある方々と、新しい分野を築いていきたいと思います。