樋田 啓(といだ・ひらく)
NTT物性科学基礎研究所 量子科学イノベーション研究部 超伝導量子回路研究グループ
2004年~2013年 東京大学
2013年~ 日本電信電話株式会社
NTT物性科学基礎研究所 量子科学イノベーション研究部 超伝導量子回路研究グループで、超伝導量子回路を利用した超高感度磁場センサーの研究に取り組む
NTT物性科学基礎研究所 量子科学イノベーション研究部 超伝導量子回路研究グループ 主任研究員 樋田 啓
量子ICTフォーラムは、「量子コンピュータ」「量子鍵配送」「量子計測・センシング」という3つの技術推進委員会から構成されている。量子計測・センシング技術推進委員会の主要なテーマの一つが、量子技術を活用して既存のセンサーを遙かに超える性能のセンサーを開発することだ。日本有数の基礎研究所であるNTT物性科学基礎研究所には、量子科学イノベーション研究部と呼ばれる組織があり、さまざまな研究が行われている。量子科学イノベーション研究部超伝導量子回路研究グループに所属する樋田啓氏は、量子技術を用いた超高感度磁場センサーの研究に取り組んでいる若手研究者のホープだ。今回は、樋田氏に、超高感度磁場センサーの仕組みとそれが社会にもたらすインパクト、文武両道の天才と呼ばれた中高生時代の逸話や社会人になっても続けている「鳥人間コンテスト」のことまで、じっくりとお話を伺った。
(聞き手・構成・写真:石井英男)
樋田 啓(といだ・ひらく)
NTT物性科学基礎研究所 量子科学イノベーション研究部 超伝導量子回路研究グループ
2004年~2013年 東京大学
2013年~ 日本電信電話株式会社
NTT物性科学基礎研究所 量子科学イノベーション研究部 超伝導量子回路研究グループで、超伝導量子回路を利用した超高感度磁場センサーの研究に取り組む
私の研究内容は量子センシングという分野で、量子の力を使ってとても高性能なセンサーを作ろうというものです。私が研究しているセンサーは磁場センサーですが、磁場センサーはさまざまな分野で使われています。例えば、MRIという脳などの断面画像を撮る診断機器がありますが、MRIでは磁場センサーが重要な役割を果たしています。MRIの性能は感度や空間分解能などで特徴づけることができます。例えば、感度が高いと小さな磁場でもよく見えますし、空間分解能が高いと、脳を見る場合でも小さな部分の病変もよくわかるようになります。他にも、材料分析などにも磁場センサーは使われています。磁場センサーの性能が向上することで、病理診断や材料分析などの分野が大きく進歩し、これまではっきりしなかった物事がよく分かるようになり、社会がより良い方向に進むと考えています。
そうですね。既存の磁場センサーはホール素子や、あとSQUIDと呼ばれる超伝導素子を使ったものがあります。私が研究している磁場センサーもSQUIDと構造は似ています。SQUIDは現在、究極の感度といわれていますが、それに量子の力を加えることで、さらに感度を高めようというのが私の研究です。
そうですね。動作温度に関しては、超伝導現象を使っているということでやはり制限がありまして、そこはさすがにホール素子のように常温で使えてどこにでも持って行けるというものではありません。ただし、それはセンサーの特徴の違いであって、そこが多少不自由でも、非常に高い感度で測れて嬉しいものはありますので、そういう用途に使えればと思っています。
私が扱っている超伝導量子回路は、最近話題の超伝導量子コンピュータに使われている量子回路と似ていますが少し仕組みが違います。私が作っている量子回路は、超伝導のリングを作り、そのリングの中を流れる電流が左にぐるぐる回っているか、右にぐるぐる回っているかを、量子状態の1と0ということにして使う、超伝導磁束量子ビットというタイプの量子回路を使っています。製造方法は、基本的には超伝導量子コンピュータで使われている量子回路と同様に、半導体プロセスを使っています。具体的には電子ビームを使って、10マイクロメートルやそれ以下の幅で回路を作り、そこにアルミニウムを真空蒸着で貼り付けると、アルミニウムが超伝導になるので、超伝導回路をチップ上に作ることができます。
センサー自体は量子ビット1つでも動きます。実際に私の今の実験では1つでやってまして、いろいろな試料を載せて測って、何か分かりましたということができます。ただ、量子の真の力が発揮できるのは、量子ビットの数を増やしたときです。普通のセンサーですと、100個並べると感度が10倍上がるという関係になるのですが、量子センサーの場合は100個並べると理想的には感度もその数だけ100倍上がります。また、センサーを並べることの利点はもう一つありまして、例えばデジカメでは光センサーが二次元的にいっぱい並んでいて、それが何百万、何千万個もあって写真が撮れるわけですが、同じように磁場センサーもたくさん並べれば、例えば細胞を持ってきて、その中の様子を磁場によって写真のように撮ることができます。量子ビットの数を増やすことは、センサーの性能を拡張するのに有効な方法です。
そうですね。磁場の分布が分かります。
はい、実際に今やっている研究で、そろそろ論文が出るんですが(注:2023年2月6日、NTTと静岡大学と科学技術振興機構(JST)が、超伝導磁束量子ビットにより単一細胞相当の空間分解能で神経細胞中の鉄イオンの検出に成功し、英国科学誌「Communications Physics」に掲載されたと発表した)、実際に超伝導量子ビットの上に神経細胞を載せて、その中に含まれる鉄がどれくらいあるかを測ったりしています。実際に、生体も測り始めるような段階にきているわけです。
私が研究を始めたのは大学院の時からですが、その時からほとんど今と同じような研究をやっています。今は超伝導の回路で量子回路を作っていますが、大学時代に所属していた研究室は半導体の研究室でした。半導体を使っても量子ビットができまして、インテルもやっているアプローチですが、それと同じような量子ビットを作って量子操作を行おうとしていました。ですから、やってることも使う技術もほとんど変わっていなくて、半導体素子も極低温に冷やさないと量子ビットとしては動かないので、低温関係の技術もそこで学びました。あと今扱っている量子回路はマイクロ波を使って制御しますが、そのマイクロ波の技術も半導体で使われており、それもそこで学びました。
私がやっている分野ですと、ライバルグループがフランスにいます。そこは私たちとは別のアプローチで、超伝導量子回路を使って磁場を測ることや、物質内の電子のスピンを測ることを研究しています。最新の結果では、我々のグループとフランスのグループは、大体同じくらいの感度と空間分解能を達成しています。あとはあまり参入してきていないので、我々とそのフランスのグループが競り合っている状況だと思います。
磁場センサーの感度の指標として、何個の電子スピンがあれば検知できるかということがよく使われています。私たちは現在のところ20個のスピンがあれば見えるデバイスを作ることができています。それを数年以内には、1個のスピンが見えるデバイスを作り、さらにそのスピンがどこにあるかわかるような、それが何由来のスピンなのか分かるようなセンサーを作りたいと思っています。実はそれが量子コンピュータに繋がっている話でもあります。
一応、計算上は可能ということになっているので、頑張って実験で実装していくことになります。
はい、そうですね。
正直、苦しいところもあるんですが、だいたい2050年くらいに最初のプロトタイプが出てくるとは考えています。
それは保守的かもしれないですね。
そうですね、それはずいぶん期待を込めた数字かなと思います。個人的には100万量子ビットに到達するまでに、例えば10が400になるところとは違うギャップがいくつかあると思っていて、そこで技術的に何らかのブレイクスルーがないとダメだと思います。
そこは単純に、例えば配線とか冷却装置の問題も出てくるでしょうし、技術的な課題は多いのかなと思います。
僕の中のイメージだと、超伝導量子回路は真空管からトランジスタになったくらいの発明だと思ってまして、トランジスタをICにして、その中に100万個の素子を作り込むまでにはトランジスタの発明からずいぶん時間がかかっていると思います。量子ビットについても、それと同じくらいの苦労が必要だと思ってますし、そこには冷却装置もそうですが、量子特有の壁があるのかもしれないなと。
量子センシングといってもいろいろやり方がありまして、常温で動作するNV中心というダイヤモンドを使った量子センサーもあります。それはベンチャー企業ができるくらい進んでいる分野で、そちらのほうが量子ビットの数が少なくてすむのもあるんですけれども、社会実装には近いと思います。
それに関しては、私は企業にいて学生さんと接する機会が少ないので、あまり貢献できているわけではないんですけれども、興味を持ってもらうのが一番最初だと思っています。私は最初、量子をやろうと思って大学に入ったわけではなくて、どちらかというと電気をやろうと思ってました。それが大学での講義などを通して面白さに気付いて、量子の道に進んだ感じです。大学初年度くらいに何かきっかけがあって、量子の面白さに触れることができれば、量子の道に進んでくれる人が増えるのではないかと思います。
時代は大分変わっていると思います。私の時代も転換期くらいで、私が大学の講義で量子ゲートが作れますというのを聞いたので、それがきっかけでこの道に進んだので。今の若い方だと、クラウドで動く量子コンピュータに実際に触れますし、私の頃とは環境が違って、興味を持ったらいろんなリソースにアクセスできると思います。
ものを作るのが好きで、電子工作をやってました。ダメになった家電を分解したり。工作が好きで、特に電気が好きだった記憶があります。
そうですね。ものを作って自分で動かして、適正としてはエンジニアとかですね。
きっかけは中学の時に理科クラブみたいなのに入って、その時に太陽電池工作コンクールに参加したんです。ソーラー充電式の蛍光灯ランプ、キャンプとかに持っていくランタンを作って、さらに高電圧でぶつかると虫を殺せる殺虫機能を組み合わせたものを出した記憶があります。
身体を動かすのは嫌いではなくて、中学の時は陸上部、高校は山岳部にいました。大学では「鳥人間コンテスト」ですね。一応全部アウトドアにはなります。
パイロットはやっていないんです。私は機体製作のほうです。
これはいろいろ話が混ざっていて、東大でやっていたときには優勝はしてなくて、チーム記録更新が1回あって、もう1回は3位入賞ですね。実は鳥人間コンテストには社会人になってからも出ていて、優勝したのはそのときです。
Team’F’というチームで、名古屋の自動車のエンジニアが始めたチームに僕も参加してます。最近はあまり鳥人間コンテストには出てないのですが。
そうです。チームの目標は、人力飛行機のスピードの世界記録を達成するということで、テレビでやってる鳥人間コンテストとは別の目的で向けて機体を作っています。2012年に「FAI Sub-class-I-C 速度部門」で日本記録を樹立して、今は世界記録を目指しています。
空とかロボットとかその辺も、量子の次くらいに興味があります。
それはたぶん大学1年の後半くらいの講義がきっかけです。講義が2つありまして、1つは量子論の講義で、清水明先生という東大の先生が書かれた教科書がとても面白いと私は感じまして。それがきっかけの1つです。それは、理論の側からで、量子論というものは本に書いてある内容としては面白いということがわかったのが1つ。もう1つが、それと同時に他の講義も受けていて、その後大学院で指導教官になる先生の講義なんですけれども、その先生は半導体の実験屋だったんです。今、半導体上で量子操作ができつつありますという、最先端のことを伝えてくださる講義でした。教科書だけで見ていると、量子の世界というのは自然界の中に確かにあるが、人間はそれを観測することだけしかできなくて、アクティブに量子を制御できるとは思えなかったんですが、最先端の研究では、量子ビットがかなり初期のものではありますが、実際にできていて、少しずつ制御もできるようになっているというのを聞いて、感銘を受けました。しかも、私は電気が好きだったので、電気回路というか半導体でできるということで、量子に進もうと思った次第です。
単純に面白いというのが一番だったと思います。
私は実はあまり関わりがないのですが、所属されている方の名前を見ますと、かなり知り合いが多いというか、普段から研究の議論をさせてもらっている方が多いので、そういう方と話す機会があるというのが1つのメリットですね。あと、量子ICTフォーラム主催の講演会にも何回か参加させていただきました。
量子コンピュータ周辺技術の産学連携イベントがあって、私も参加したんですが、そうした取り組みは今後重要になってくると思います。量子コンピュータの開発って、昔は量子ビットが1個とかだったので、研究室とか1グループでできていたのですが、最近は全然そういう規模ではなくて、ビッグサイエンスになりつつあると思います。ですから、産学連携が今後とても重要になってくると思うので、そこを活性化するイベントがあるといいなと。例えば、テクノロジーについては物理屋は興味があっても、そこまで手が回らないところだと思うので、そこを産の方に助けてもらえる機会が増えるとこちらとしては大変ありがたいです。
そうですね。それをやらないと小さいグループではやれることが限られてしまう。個人的には、最近は量子関係のソフトウェアをやってるベンチャーが出ていると思いますが、そういう方とはあまり繋がりがないので、ハードウェア、ソフトウェア問わず、そこの垣根がないような交流会があるといいかなと思います。
大学院で研究する人に向けて言いたいのは、そのくらいの時期が集中して研究できる一番いい時期だと思うので、そこでエネルギーを割いて研究に集中することが大切だということですね。そのときに身につけたものが、必ず役に立つと思うので、その時期は研究に集中することをおすすめします。実際に僕もその時期に身につけた武器を使って、今も武器をアップデートしつつ研究をやっています。あと、私は研究ばかりやっていて、他の研究室の人との交流があまりなかったんですけど、博士課程2年か3年のときにサマースクールに参加しまして、そこで同じ分野の若手と交流する機会があったのは良かったので、そういう機会があったら逃さないようにするのも大切だと思います。