量子ビットの実現手法として「電子」を活用する意義
―まず、量子ビットの実現手法として、なぜ「電子」を用いるのかについて教えてください。
それには主に、3つの理由があります。まず、電子は軽く動かしやすいからです。量子ビットとして物理的に遠くへ運ぶ必要性がある場合、小さく位置を揺動させることができます。
次に、電子の小ささが挙げられます。量子ビットの数を増やし、大規模な量子コンピュータを実現していくために有用なのです。
最後に、計測の面で最も重要なのが、電子が電荷という電気的性質とスピンという磁気的性質を双方持つことです。つまり、電子は電気的な量子状態としては軌道状態などがあり、磁気的な量子状態はスピン状態と呼ばれます。
電気的な量子状態は相互作用が大きく、磁気的な量子状態は相互作用が小さいという特徴があります。相互作用が大きいと、コヒーレンス時間が短くなる傾向がありますが、反面、量子操作がしやすいという利点もあります。
一方、相互作用が小さいと、コヒーレンス時間は長くなるという利点がありますが、反面、量子操作がしにくく、遅くなるという欠点があります。電子はこの2つの性質を併せ持つため、量子コンピュータ内の量子計算での場面に応じて、都合の良い量子状態を使いわけることにより、電気的性質と磁気的性質の両方の利点を活かすことが出来るのです。
電子の活用方法:「浮揚電子」と物質中の電子との比較
―今回研究対象となっている「浮揚電子」と物質中の電子の違いについて教えてください。
電子を使った量子ビットは大きく分けて、浮揚電子と物質中の電子の二つに大別することができます。この二つの最も大きな違いは、浮揚電子の場合は電子が真空中に存在し、物質中の電子の場合は電子が物質中に存在するということです。
浮揚電子の例としては、トラップされる電子や、私の研究対象である「ヘリウム表面上の電子」があります。また、物質中の電子の例としては、ダイヤモンド中の電子や、半導体中の電子があります。これらの物質中の電子は量子ビットとしての研究がかなり進んでいますが、一方、浮揚電子は量子ビットとしての研究はまだ少なく、新しい挑戦的な分野と言えます。
研究があまり進んでこなかったのは、浮揚電子は、真空中に存在するため、電子にアクセスしにくく、電子の量子情報を読み出しにくいという欠点があるためです。まずは、これを克服する必要があります。この点が克服できれば、浮揚電子は、真空中に存在することで、周辺環境に影響されず、綺麗な量子ビットになると期待できます。
先行研究を踏まえた「ヘリウム表面上電子」の形成
―ヘリウム表面上電子の形成や、量子ビットの確立に向けて、これまでどのような研究がされてきたのでしょうか。
ヘリウム表面上に安定な2次元電子層が形成されることが理論的に示されたのは、1969年です。この理論的提案を元に、1972年にヘリウム表面上の電子の存在が測定されました。その後、1976年に、ヘリウム表面上の電子の量子状態が初めて測定され、1999年には、ヘリウム表面上の電子を用いた最初の量子ビット理論の提案(Platzman他)がありました。
このときの提案は、電気的な量子状態であるリュードベリ状態を量子ビットの状態として利用するというものでした。続いて、2006年にはコヒーレンス時間の長い磁気的な量子状態である、スピン状態を用いることが提案されました(Lyon他)。
リュードベリ状態とスピン状態の双方の活用
-過去の研究成果を生かして、研究チームでは、どのような研究成果の実現を目指されているのでしょうか。
私たちは、電気的な「リュードベリ状態」と呼ばれる量子状態と、磁気的な「スピン状態」の両方を用いることを提案しています。先ほども説明したように、電気的な状態はコヒーレンス時間が短いという欠点がありますが、操作しやすいという利点があります。一方、スピン状態はコヒーレンス時間が長いという利点がありますが、操作しにくいという欠点があります。
そこで、「量子情報はスピン状態に保持する。1量子ビットゲート、2量子ビットゲート、読み出し、初期化などの量子操作を行う際には、相互作用を介し、スピン状態からリュードベリ状態に量子情報を転写する。さらに、量子操作終了後、再びスピン状態に転写し直す」という手法に思い至りました。
このように、私たちは、リュードベリ状態とスピン状態のお互いの良いとこどりが出来るような手法の確立を目指しています。
先ほど、浮揚電子は空中に存在するため、電子にアクセスしにくく、電子の量子状態を読み出しにくいことがこの系の課題であると申し上げました。これに対し、私たちは、リュードベリ状態を作り、電子が下方の電極に誘引される鏡像電荷から読み出すことを提案し、多数の電子に対してこれを実験的に成功させています。これからは、単一電子に対しても読み出しを実現することを目指しています。
ヘリウム表面上に電子を浮かべる実験
-実際の実験の様子についても教えていただけますでしょうか。
まず、ドールハウス用ミニチュア電球を買ってきます。一個300円ほどの素材です。これをナイフでカットして真空を壊し、フィラメントをむき出しにして、セルと呼ばれる物体内部の電極にセットします。次に、セルを真空に引き、希釈冷凍機の中で、30mK程まで冷えるプレートに取り付けます。セルから出ている細い金属の棒は室温まで繋がっていて、そこから気体ヘリウムを流しこむと、30mKのプレートにあるセルに到達したときには、液体ヘリウムになっています(ヘリウムは4K程度で気体から液体に変化する)。
そのうえで、フィラメントに電流を流すと、加熱され、熱電子が放出されます。そうるすと、エジソン効果によって、金属内の自由電子の運動エネルギーが仕事関数よりも大きくなり、電子が金属表面を飛び出します。電子は液体ヘリウム内には入れないのですが、引き寄せられるため、液体ヘリウム表面で安定するようになります。液体ヘリウム4の場合はヘリウム液面から10ナノメートル程離れたところに、2次元電子層が形成されます。
このような実験を繰り返すことで、量子ビットの確立、量子コンピュータ時代の到来に向けた未来の実現に向け一歩ずつ前進しています。
「浮揚電子」の研究室創設に至るまでの道のり
-浮揚電子に着目し始めた経緯について教えてください。
量子物理の初学者のための有名な本に、J.J.サクライ氏の『現代の量子力学』という本があります。学部生の時に、その本で勉強し、そこに電子の持つスピン状態(電子スピン)の話がでてきたので、電子スピンに興味を持ちました。
電子と言えば、半導体中で操作するものが主流で、半導体中の電子の研究でPh. D.を取得しました。しかし、研究を進めていくうちに、物質中の欠陥や不純物の影響を相殺するためのチューニングが予想以上に大変なことに気づきました。そこで、発想の転換をして物質中ではなく、真空中に電子を置けばよいのではないかと考えるようになったのです。
-そもそも、研究者としての道を志したのはいつ頃だったのでしょうか。
今振り返ると、小学生時代が初めて科学の面白みを感じたスタートラインだったように記憶しています。当時、理科の授業で異なる重さのビー玉を同じ傾斜上に転がして、どちらが早く着くのかという実験をしました。重いほうが先に着くと考えていた小学生の私は、それらが同時に着くことがどうにも納得できませんでした。自分のイメージに合う結果が出るまでなんども実験したりして、先生を困らせましたね。
その後高校に入学し、初めてニュートンの法則を学び、小学生の頃からの私の思い込みが間違っていたことが分かりました。m a = F ,という美しい式に出会い、そこから物理にはまり始めたのです。単純な式で世の中のすべてのことを記述できることは、純粋に凄いなと感じました。そして、これを契機に、すぐにわからないこと、当たり前だと思っていたけれどそうでないことに魅力を感じていきました。
「あり得ない!」自分の感覚とは違うと思うものが本当は正しい。そんな体験にますますはまっていったのです。量子物理のように、2つの状態を同時にとりうる、観測したら状態が変わるなんてまさに感覚的には信じられない。しかし、実際に測定してみると、こういった量子物理でしか説明出来ない現象が見られる。宇宙の真理には自分の思い込みだけでは到達できないのですね。感情や思い込みを排除して、科学的かつ論理的に詰めていくと真実にたどり着くところが好きで、それが極まって研究者としての道を歩みはじめたということです。
-オランダのデルフト工科大学ではどのような研究をされていたのでしょうか?
デルフト工科大学では、量子コンピュータの分野で有名な研究室に留学しました。量子コンピュータの基礎を学ぶ授業や、量子技術の実験のために必要なアナログ電子回路、デジタル電子回路(FPGAなど)の知識を学ぶ授業がありました。今でこそ日本でも量子教育を強くしようという動きがありますが、私が留学した当時(2011年)にはかなり前衛的な授業だったと思います。
当時は、異なる方法で量子コンピュータの実現をすることを目指すチームがいくつか集まり一つの研究室を形成していました。チーム間の交流が活発で、それが良い方向に作用して多くの研究結果に繋がっていました。私が携わっていた半導体中の電子で量子ビットを作る研究も飛躍的な研究結果が出てきて、ダイナミックな変化が起こった時期に関われたことは、大変貴重な経験でした。はじめて半導体中の電子スピンの操作が出来たことを示すシグナルが出たときのことは今でも鮮明に思い出せます。「この結果が出たことは、今、この世界中で私達しか知らないんだよね!」、と一緒に研究をしていた同僚と2人で興奮しました。
他チームも量子テレポーテーションの実験やマヨラナ粒子の実験など歴史的な結果を出していた時期で、負けていられないという気持ちも研究意欲に繋がりました。また、毎週のように著名な研究者が訪問してきて講演を聞いたり、研究室見学の手伝いをするのもとても刺激的でした。
2015年頃から、IntelやMicrosoftと提携しはじめ、研究室の規模が10倍くらい(私が卒業した2016年頃で10倍くらい、今ではもっと大きくなっている)になり、今では、QuTechと呼ばれる組織になっています。QuTechには企業と研究者を結び付けてくれる、日本であれば「リサーチアドミニストレーター」と呼ばれるような人がいました。このような量子分野の盛り上がりの波は5年くらい遅れて日本にもやってきて、今盛り上がりを見せていると思います。
-その後、沖縄科学技術大学に移られました
真空中に電子を置ける物理系としてヘリウム表面上の電子を知り、博士課程取得後のポスドクはヘリウム表面上の電子の研究をやりたいと思いました。沖縄科学技術大学院大学(OIST)でヘリウム表面上の電子の研究室があることを知り、量子情報に繋げるための研究をやらせてくれないかとお願いしました。好きに研究を進めさせて貰う一方で、ヘリウム表面上の電子を扱うのは初めてだったので、理論面でも技術的にも必要なときには十分なサポートを貰えました。前述の鏡像電荷から読み出すシグナルが出たとき、真っ先に上司に報告しにいったのですが、“It will change everything.”と言って貰ったことを覚えています。本当にそうなるかどうかはこれからの研究にかかっていると思います。
ヘリウム表面上の電子の研究が出来ることはもちろんですが、OISTの国際色豊かな環境にも惹かれました。PIや研究員の国籍やバックグラウンドが幅広いのはもちろん、Ph.D.の学生は国籍だけでなく、年齢も幅広かったです。事務系職員にも日本人以外の方がかなりいました。研究室には旧ソ連軍で技術者をやっていた高周波の優れた技術を持っている方がいて、一緒に研究する傍ら、冷戦時代の大変だった話を色々と教えてもらったのが印象に残っています。
日本国内の他の機関と比べてももちろん、世界中みても、これほどdiversityが進んでいる研究機関は無いのではないでしょうか。こういったOISTの取り組みは、もっと日本国内外に知られて欲しいと思います。
-理化学研究所で研究室を立ち上げられた経緯は?
OISTでのポスドク後も、ヘリウム表面上の電子の研究を続けていきたいと思っていましたが、ヘリウム表面上の電子を扱っている研究室は世界的にも数えられるほどしかないこともあり、どう身を振ろうかと考えあぐねていました。幸い、理研の白眉プログラムに採択して頂いたおかげで、自分の研究室を立ち上げることが出来ました。今年度発足した量子コンピュータセンターにも所属させて頂き、量子のスペシャリスト達が周りにたくさんいる最高の環境なので、お互いに良い刺激を受け、切磋琢磨しながら、研究結果を出していきたいと思います。
量子コンピュータ実現への夢
-今後思い描く夢について教えてください。
まずは、先述のようにヘリウム表面上に電子を並べ、論理量子ビットをたくさん作ること。そして、もう一つ注力している分野があります。
基幹技術となる低温マイクロ波装置を完成させて、世界中の量子コンピュータの研究をしている方々に配りまわりたいと考えています。そして、量子コンピュータが実現した世界を早く見てみたいです。生きているうちに実現できるかどうかはわかりませんが、できることならこの目で見て体感したいです。
-今後の産業界とのコラボレーションについてはいかがでしょう?
デバイスを微細加工する技術や、高周波回路など、産業界に優れた技術がたくさんあると思うので、これらを量子技術に発展させるために、相談させて頂けないかと思っております。
量子の基礎研究的側面については、私たち研究者が推進していきながら、周辺の電気的な回路は、産業界にいてスキルを持つ方々と共に連携して開発していくことが理想的だと考えています。産業界から技術的な協力をいただき共に量子コンピュータを盛り上げたいですね。分野を越えたコラボレーションは、使っている言葉が違ったりするので、分かり合えるまでに時間がかかったり、ストレスになったりもしますが、分かり合えたときは異なる技術を融合できるため非常に楽しいです。ぜひ積極的にコラボしたいですね。
趣味はサックスの演奏。しかし、研究チーム立ち上げにより、今は演奏の暇もなく研究に没頭する日々を送る。