量子コンピュータ技術推進委員会若手インタビュー 先進的アプローチで、超伝導量子コンピュータの可能性を拡張する

理化学研究所量子コンピュータ研究センター・超伝導量子シミュレーション研究チーム 特別研究員、
東京理科大学 理学研究科物理学専攻 博士課程3年 蔡研究室・理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 超伝導量子シミュレーション研究チーム 研究パートタイマー
向井 寛人 / 朝永 顕成

―近年、量子コンピュータを取り巻く環境は大きく変化している。

最前線で研究を進める研究者は、今の世界をどう見て、未来をどう作り上げていくのか。本連載では、日本で量子コンピュータ技術の研究開発において活躍する若手研究者の声から、量子コンピュータにまつわる様々な視点を届けていく。

量子コンピュータの世界で蔡兆申氏の名を知らぬものはいない。1999年、当時NECの基礎研究所に務めていた蔡氏は、同社の中村泰信氏とともに、世界初の超伝導量子ビットを創出。この技術がなければ、2019年に「量子超越性」の達成を高らかに宣言したGoogleの量子コンピュータも生まれなかった。今回話を伺ったのは、2015年から蔡氏が教鞭を執る東京理科大学で、氏の薫陶を受けた向井寛人氏と朝永顕成氏のお二人。向井氏が取り組むのは、超伝導量子コンピュータのアーキテクチャ開発だ。「伸ばして、折りたたむ」というユニークなアイデアで、従来の量子回路の課題をスマートに解決してみせた。朝永氏の主な研究テーマは「超強結合系」。量子光学などの知見も取り込むことで、今までにない量子アニーリングマシンの可能性を見出した。偉大な研究者のDNAを引き継ぐ、二人の若き研究者のこれまでとこれからに迫る。

(聞き手/構成:福地敦/撮影:増山弘之)

向井 寛人(むかい・ひろと)/ 写真・左

理化学研究所量子コンピュータ研究センター・超伝導量子シミュレーション研究チーム 特別研究員
現在の研究テーマ: 超伝導量子回路を用いたスイッチング回路の研究
今後の研究テーマ: 超伝導量子ビットのマルチプレクシング制御の研究

朝永 顕成(ともなが・あきよし)/ 写真・右

東京理科大学 理学研究科物理学専攻 博士課程3年 蔡研究室・理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 超伝導量子シミュレーション研究チーム 研究パートタイマー
現在の研究テーマ:全結合超伝導量子アニーリングマシンのアーキテクチャ設計及び、要素技術開発
今後の研究テーマ:万能量子コンピュータに向けた超強結合系の利用とその状態操作

「恩師」は、超伝導量子ビットの生みの親

――お二人は、世界で初めて超伝導量子ビットを生み出した蔡兆申(ツァイ・ヅァオシェン)先生の教え子でもあります。そもそも、なぜ量子コンピュータに興味を持たれたのでしょう?

向井 やはり、蔡先生との出会いが大きいですね。私自身は、このような量子性を活かしたコンピュータの研究にまさか自分自身がかかわるとは思っていませんでした。必修科目として量子力学を学んだ際も「こんな不思議な世界もあるんだ」と素朴に思ったくらいでした。けれど、私が研究室に配属されるタイミングで、ちょうど蔡先生が東京理科大学に赴任され、新たな研究室を立ち上げられた。調べてみると、世界的にも著名な先生らしい。そんな先生の下で、一期生としてゼロから研究室を立ち上げるというプロセスに、純粋に興味があったんです。だから最初から量子コンピュータの研究者を目指していたというよりも、ちょっとした好奇心と偶然に導かれて、この世界に足を踏み入れたという感じですね。

朝永 私は高校2年生のときに、東京大学名誉教授の佐藤勝彦先生が書かれた『「量子論」を楽しむ本』を読んで以来、ずっと量子力学に関心がありました。ミクロの世界には、人類がまだまだ解き明かせない未知の現象があふれている。その事実に、知的探究心を大いに刺激されました。量子コンピュータという言葉を初めて知ったのも、確かこの本だったと思います。東京理科大学への進学後は、素粒子物理学にも心を惹かれたのですが、やはり蔡先生が赴任されてきたことが決め手となって、向井さんから一年遅れて研究室の門を叩きました。

——研究室の立ち上げ期には、さまざまな苦労もあったのではないでしょうか?

向井 そうですね。当初は、先生の机とPCしかないようなガランとした研究室でしたから。最初の一年は、蔡先生のもう一つの勤務先である理化学研究所の研究員の方々にも指導していただきながら、超伝導量子回路・量子ビットを使った一般的な実験の手順などを学んでいきました。実際に、研究室で実験ができる環境を整えはじめたのは二年目に入ってから。希釈冷凍機の導入をはじめとして、機材も自分たちの手で組み立てていきました。フィルターはどんなものがいいのか。マイクロ波の経路はどうやって分岐させるのか。配線を通した熱流入はどのくらいになるのか。研究室のメンバーで試行錯誤しながら取り組んだのですが、やはりみんな学生なので随分と時間もかかりました。

朝永 ちょうど私が配属された頃に、最初の希釈冷凍機が納入され、それが実際に実験用として稼働するまで、約一年くらいかかりましたよね。実はその希釈冷凍機での実験第一号に使ったのが、私が卒業研究で製作した共振器なんです。そういう意味でも、今でもすごく思い入れのある機材ですね。

Googleも思いつかなかった、新たな回路方式

——まさにお二人とともに歩んできた研究室なのですね。そこから、それぞれどのような研究に取り組んできたのでしょうか?

向井 私は主に、超伝導量子回路のアーキテクチャの研究に取り組みました。研究を始めた頃は、数十量子ビット規模の量子コンピュータはありませんでした。そこでまず参加したのが、2〜10量子ビット程度を備えた、超伝導量子回路を使った新方式の量子コンピュータ開発を目指した共同プロジェクトです。回路自体の設計製作にも携わりましたが、研究室の実験設備を整えた経験から、新規量子コンピュータのアーキテクチャ開発に加え、プロジェクトで目指す実験を加味したマイクロ波による制御/読み出し装置の選定や設計を担うことが多かったですね。特に苦労したのは、制御装置における精度と規模の兼ね合い。当時は修士1年でしたが、限られたリソースの中で、プロジェクトが5年後に目指す規模の量子コンピュータを測定できる環境を作らなければならない。一方その頃は、超伝導量子ビットの制御をターゲットにした専用の装置というのは、まだほとんど市販されていなかったので、流用したり、新規に出てきた装置を日本で初めて使ってみたりといろいろ試しました。その後、現在も使用している制御機材が発売され、それがうまく機能してくれたときには心底ホッとしました。

——向井さんは、蔡先生の指導の下、超伝導量子コンピュータの新規回路方式の創出にも携わったと伺いました。そもそも従来の回路方式には、どのような課題があったのでしょうか?

向井 多数の量子ビットを安定的に稼働させる回路方式として、理論的に最も有力とされてきたのが、量子ビットを2次元格子状に配置する方式です。隣り合う量子ビット同士は正方格子状に繋がれ、さらにそれぞれの量子ビットが制御装置などと接続されます。ところがこの方式だと、2次元格子の中心付近に配置された量子ビットへのアクセスが非常に困難です。例えば、2×2配列の4量子ビットであればすべての量子ビットに外側から接続できますが、3×3配列の9量子ビットになっただけで、真ん中の量子ビットには外側からアクセスできませんよね。

——たしかに、真ん中の一つが浮島のようになってしまいます。

向井 真ん中の量子ビットに無理やりアクセスしようとして、制御配線を無理に量子ビット間に通すと、量子状態を壊す危険性が大きくなります。こうした問題をクリアするために、制御用の配線を上から垂らす3次元(垂直)配線が検討されてきたのですが、この配線方式にもまだまだ技術的な課題があり、何よりも実装のためには莫大な費用がかかることが大きな難点でした。Googleなどが研究を進めている量子コンピュータにも3次元(垂直)配線が採用されています。これには資本力も必要ですが、それだけでなく、多くの労力をこの3次元実装に注ぎ込まないとできないとても大変な実験です。私たちの研究は、そういった多大な実験の労力を少しでも緩和できるようにしたいという部分が大きいです。

そこで私たちが提示したのが、2次元正方格子状に並んだ量子ビットの各列を折り紙のように折りたたむことで、すべての量子ビットを「外側」に引っ張り出す回路方式です。下記の図を見ていただくとイメージしやすいかと思います。

2次元格子状に配置された量子ビット(図a)を、まずは(図b)のように引き伸ばします。さらにそれを(図c)のように波形に折り返す。すると、すべての量子ビットが回路の外側に配置されました。これでどの量子ビットも、制御装置などに簡単に接続できるようになります。

——なるほど……! 実にシンプルでスマートな解決方法ですね。

向井 実はこの「伸ばして、折りたたむ」というアイデアは、プロジェクトでクラスター状態と呼ばれる量子もつれ状態を生成する回路を研究するなかで思いついたものなんです。そのときに「この方式は表面符号(2次元格子)の回路設計にも生かせるのでは?」とひらめき、試したみたらその予感が的中した。そういう意味では、運も味方をしてくれた研究です。

まだまだ研究途上ではありますが、この新規回路方式を採用することで、より簡易かつ低コストで信頼性の高い集積回路を製作できると期待しています。資本力を持たずとも、こういったちょっとしたアイデアで、量子コンピュータの研究を推し進めることができる意義は大きいと思うのです。

量子誤り訂正の効率化へ。鍵を握るのは共振器

——朝永さんの研究についても教えてください。これまでは主に量子アニーリングマシンの研究に取り組んできたと伺っています。

朝永 そうですね。蔡先生の薦めもあり、研究室に配属されてからの5年間、超伝導共振器と超伝導量子ビットを組み合わせた次世代型の量子アニーリングマシンの開発プロジェクトに携わってきました。そのなかで、これまでにない新たな共振器と量子ビットの結合回路の開発設計にも取り組みました。学部生から修士生にかけては、本当に手探りという感じでした。一週間かけて設計し、一週間かけて製作した回路が、3分間の焼き付け工程を失敗したことで、全部パーになっていたことに数か月して気が付いたり。

回路をうまく仕上げるためには、無数の落とし穴があって、その一つ一つにことごとくハマっていった感じです。だからとにかく時間がかかって、博士課程を終えるまでにやりたかった実験の半分も成功させられませんでした。ただ、その結果だけを見ると悔しくもあるのですが、研究者になるためには非常に実りのあった5年間だったと感じています。

——5年間でどのような学びがあったのでしょうか?

朝永 超伝導量子回路の理論から、設計、作成、測定、評価まで一通りのことがそれなりにこなせるようになったことが一つ。そして、もっと大きいのは「超強結合」という新たな研究テーマを見つけたことですね。「超強結合」とは、光と物質が、自然界ではありえない強さで結びつく量子光学現象のこと。先述したプロジェクトのなかで、量子ビット同士を、共振器を介して結合させる必要があり、そのための方法を模索するなかで、この現象に着目しました。超強結合した共振器を量子アニーリングマシンに活用するという試み自体が類を見ないものでした。また現在、これに加えて超強結合に関する論文を2本まとめている最中なのである程度は意義を残せたのかなと自負しています。

超伝導量子ビットと超伝導共振器の超強結合回路の顕微鏡写真と超伝導量子ビット部分のSEM画像

また、量子光学の面白さに気づけたことも収穫です。例えば、超強結合している共振器に閉じ込められた二つの人工原子(量子ビット)の一つに光子をぶつけると、なぜか二つの人工原子が同時に励起することがわかっています。つまり、通常は分裂しない光子があたかも二つに分かれて、それぞれの人工原子に作用したように振る舞うわけです。こういった量子力学のなかでもさらにイレギュラーな現象が、超強結合している超伝導量子回路のなかでは観測することができる。こういったことがなぜ起きるのか。研究者として興味をそそられるテーマです。

——量子光学のような基礎的研究にも関心があるのですね。

朝永 もちろん、量子コンピュータの研究も引き続き取り組んでいきます。さまざまなアイデアをあたためていますが、なかでも特に注力していきたいと考えているのが、これまで主流だった「量子ビットとその補助としての共振器」という役割を逆転させた、「共振器を主体とする新たな量子コンピュータ」の開発です。共振器を効率的に活用することで、量子誤り訂正の精度を下げることなく、量子ビットの数を大幅に減らせる可能性が、理論的には示唆されています。先ほど向井さんがおしゃっていた、二次元格子状に量子ビットを配置することすら必要なくなるかもしれない。それくらいのポテンシャルを秘めた研究だと思っています。

量子コンピュータの開発とともに、基礎研究にも光を

——最後に、今後のお二人の展望を教えてください。

向井 直近の目標は、先ほど出てきていた9量子ビット規模くらいのチップを制御することです。9量子ビットといっても、現在のうちで保有している制御機器ではいっぱいいっぱいなので、かなり大変だと思っています。さらに、現在研究している、超伝導量子ビットのマルチプレクシング技術を使って、より効率よく制御したい。これができれば、冷凍機や制御装置の負荷がかなり軽くなり、より多くの量子ビットを同じ冷凍機や制御装置の能力で、載せることができるでしょう。

大きな展望としては、この9量子ビットやそれよりも少し大きな回路を使って、量子性と情報科学、熱力学などに関する基礎物理分野の実験的な検証をしたいと思っています。

——朝永さんはいかがでしょうか?

朝永 最近注目を集めている、何百量子ビット、何千量子ビットという巨大な量子コンピュータを開発しようといったテーマの研究は、やはり大規模グループが取り組むような産業領域に近くなると思います。それよりも私は、もう少し基礎的な研究に興味がありますね。量子ビットを使って今まで観測されてこなかった量子力学的現象を見るとか、コンピュータ以外の、例えばセンサーとしての活用方法を探るとか。一方で将来的な量子コンピュータの大規模化に向けて、本当に量子ビットに適した素材は何だろう? どうやって回路を積層していけばいいのか?量子ビットのもっといい洗浄方法はないのか? そういうレベルの細かい研究も積み重ねていきたいです。自分自身が量子コンピュータを完成させるというよりも、次世代の量子コンピュータの礎となるような成果を残せる研究者を目指していきたいですね。