量子コンピュータ技術推進委員会若手インタビュー Quantum Transformationを推進し、世界を変えることが目標

住友商事株式会社 Quantum Transformation Project テクノロジーディレクター 寺部 雅能

―近年、量子コンピュータを取り巻く環境は大きく変化している。

最前線で研究を進める研究者は、今の世界をどう見て、未来をどう作り上げていくのか。本連載では、日本で量子コンピュータ技術の研究開発において活躍する若手研究者の声から、量子コンピュータにまつわる様々な視点を届けていく。

日本有数の総合商社である住友商事は、2018年から量子技術の将来性を確信し、社内研究会を発足させ、さまざまな取り組みを行ってきた。2020年には、住友商事グループのベルメゾンロジスコで、量子アニーリングマシンを用いた人員配置最適化実証を行い、約30%の効率化を達成した。その住友商事が、全社プロジェクトとして2021年3月に開始したのが「Quantum Transformation Project」(以下QXプロジェクト)である。QXプロジェクトは、量子技術による社会変革を目指すものであり、DXの量子技術版ともいえる。QXプロジェクトを率いる寺部雅能氏は、量子アニーリングマシンと量子コンピュータと出会ったことで人生が一変したという。QXプロジェクトの推進によって、世界を変革できるという強い信念を持つ寺部氏は、量子技術の社会実装におけるキーパーソンであり、国内だけでなく海外の量子技術研究者との繋がりも深い。寺部氏が全精力を傾けるQXプロジェクトとは何か、そしてなぜQXプロジェクトに取り組むことになったのか、じっくりと話をお伺いした。

(聞き手・構成・写真:石井英男)

寺部雅能(てらべ・まさよし)

住友商事株式会社 Quantum Transformation Project テクノロジーディレクター
2001~2005年 名古屋大学工学部電気電子情報工学科
2005~2007年 名古屋大学大学院工学系研究科量子工学専攻
藤巻朗研究室にて半導体を速度、電力で凌駕する超電導集積回路(SFQ、Single Flux Quantum)の研究に従事。SFQ回路の更なる高速化に向けた特性についての研究および量子コンピュータの構成要素の一つである超電導量子ビットの読み出し技術の研究に携わる。

2007~2020年 自動車部品メーカー
大手自動車部品メーカーで、車載マイコン製品開発・設計や新規の車載通信規格・IP開発、プロトコル策定、ハードウェア開発などに携わる。2年間ドイツに赴任し、車載通信標準化活動や欧州メーカーとの新規通信技術共創活動を行う。その後先端技術研究所で、量子コンピュータを用いたモビリティサービス、工場IoT事業創出、スパースモデリング(圧縮センシング)を用いたミリ波レーダの高分解能化技術創出、自動運転向けLiDAR信号処理技術開発を行う。

2020~ 住友商事
技術そのものをゴールとせず技術が生み出す価値創造にこだわること、自動車や製造といったフィールドに縛られないより広いフィールドへ挑戦することを実現するため、総合商社である住友商事に転職。

量子コンピュータで世界を変えるために総合商社に転職した

——量子コンピュータとの出会いについて教えてください。

もともと大学の時は量子工学を専攻していましたが、量子コンピュータのような新しい分野ではなく、半導体開発などにも利用されるような分野でした。もともと自分が作ったテクノロジーで世界を変えるようなことがしたくて、自分が乗り物を好きだったのもあって、自動車部品メーカーに入社しました。自動車業界は、日本が世界に通じている業界で、その根幹の技術を持つ部品メーカーで新しい技術を作っていくことが世界を変えていくことだと思ったんです。やはり、すごいハードウェアが出れば、世の中が大きく変わると思っていたので。でも、いざメーカーに入って新しい技術、「これは世界で一番の技術だ」と自信を持てる技術を開発しても、なかなか使われずに悔しい思いをすることも多いんです。なぜかというと、新しい技術ほどマーケットが作れないからです。いい技術を作れば誰かが使ってくれるという思想だと、ほぼ100%誰にも使われないんです。自分も、自動運転に関わる技術とか車載通信に関わる技術など、いろいろな世界で初めてと自負する技術を作ってきましたが、市場を生み出すことができなくて、技術は技術のままで終わってしまった。

量子アニーリングマシンと出会ったのは7年前ですが、無人搬送車の最適化実験を行い、高く評価されました。ただし、当時もそして今もそうだと思っていますが、量子アニーリングマシンと量子コンピュータはまだまだアカデミックな世界なんですね。量子アニーリングマシンと量子コンピュータは、素晴らしい技術ですが、これはこのままいくと同じようなことになると思いました。

——それで自動車部品メーカーから総合商社の住友商事に転職されたわけですか?

メーカーは、結局技術を作ることがゴールになりがちです。そうではなくて、その技術を市場の立場から引っ張る人がいなければいけないなと。本当は研究だけやっていて、それに到達すれば一番ハッピーですけど、待っていても誰もやらない世界なので、それなら技術を知っている自分がそっちの立場に行って、悔しい思いをしたあのときの自分みたいな研究者を救いたい、技術を活かされるようにしたいということで、総合商社に転職しました。

——総合商社なら、新しい市場を作ることができるのですか?

総合商社でも基本的には難しいです。イーロン・マスクが日本にいないように、どこの会社でも難しいと思いますが、商社がとてもいいのはある意味で理系の人があまり多くないことなんです。技術というものは自分たちが持っているものではなく、世の中にある技術を使って何ができるのかということを考えられる会社だと思います。メーカーは、Whatが決まっているところのHowを作るのが得意なんですが、商社はHowではなく、Whatを作る。ただ、Whatだけ言っても、Howがなければ実現しませんので、私がここにいることで、HowとWhatを繋げて新しい市場を創ることができると考えたんです。

非連続的な量子アプリケーションで世界を変えるQXプロジェクト

——寺部さんが住友商事に転職されたタイミングと、QXプロジェクトがスタートしたタイミングはかなり近いのですか?

そうです。QXプロジェクトは私が立ち上げたものなので。もともと、住友商事は量子技術についてリサーチはしていて、そのリサーチをされていた方と私が前職時代にたまたま知り合いまして、住友商事のことを知って転職した形です。

——転職して、すぐにQXプロジェクトを任されたという形でしょうか?

いえ、そんな簡単なことではなくて、住友商事は100年以上の歴史がある大企業ですので、新しいことを始めるのはなかなか難しいことですが、社内でしっかりと啓蒙活動し続けました。その中で、量子ICTフォーラムと絡めるのも有効だと思って、慶應義塾大学の田中宗先生にサポートをいただき、弊社のマネジメント層対象の社内向け講演会もしてもらいました。そうした地盤固めをして、QXプロジェクト開始にこぎ着けた形です。結局、周りを納得させるには、基本的にはその人が納得しやすいもの、いつも見ているもの、いつも話を聞く相手、そういったところから攻めていくことが大事だと思います。QXという言葉を僕は作りましたが、それを外で言いまくった結果、QXで検索すれば色々な記事が出てくるようになりました。そうなったらもう世の中がQXに向かっているという印象を与えることができます。そういった外から聞こえる声が大事だと思います。

——それでは、QXプロジェクトについて教えてください。QXプロジェクトの取り組みの軸は何でしょうか?

QXは基本的にはDXに続く大きなパラダイムシフトとして、トランスフォーメーションを目指すものです。既存のアプリケーションを改善するという話ではなく、量子でしかできないようなアプリケーションを生み出し、世の中を変えていくことを目指しています。そういった意味で、世の中を変えていくような非連続的なアプリケーションを生み出すということが取り組みの軸になります。ただ、量子業界には課題が大きく分けると3つあります。量子コンピュータを使う流れは単純で。アプリケーションを決めて、それを量子モデル化して、量子コンピュータで動かせばいいわけです。でも、そもそも何に使っていいかわからない、使い方が難しすぎて使えない、ハードウェアも未熟すぎて使えないという、それぞれに課題があるわけです。

そこで我々は基本的には非連続的なアプリを作るということを軸にしつつも、それ以外についてもエコシステムとして育てながら、量子技術が使われる時代を到達させるという取り組みもやっています。ですから、全てのレイヤーをやっているようなイメージになります。アプリケーションの実証は、出資先の一つであるアメリカのスタートアップ企業などと一緒にやっています。量子コンピュータの使い方がよく分からないという課題に対しては、2つアプローチがあります。一つは「誰でも使えるようにする」、もう一つは「使える人を増やす」というアプローチです。前者については、誰でも使えるようにするミドルウェアを開発しているイスラエルのクラシックというスタートアップに出資して、誰にでも使えるようにするということと、我々自身もグループ会社のSCSKで量子AIに特化したFPGAシミュレーターも開発しております。その他、量子コンピュータハードウェアレイヤーでもカナダのスタートアップに出資しており、うまく日本のエコシステムとも連携した取り組みをしていきたいとお話をしているところです。

住友商事は全方位で量子に取り組む日本唯一の企業

——住友商事はとても大きな企業ですが、会社としてのQXプロジェクトへの本気度というか、期待はどれくらいなのでしょうか?

どう表現するのがいいのか分からないのですが、QXプロジェクトは、全社プロジェクトとして認識されています。一事業部のものではなく、全社的なプロジェクトです。社内的な活動でいえば、アプリケーション開発もしてますし、SCSKにも量子チームを作っていて、外部から量子分野の一線級の人材も中途採用して、量子コンピュータの技術開発もしています。

最近の話でいうと、当社ではグローバルに4拠点のCVCを持っているので、カナダとイスラエルのスタートアップにはすでに出資をしていて、それらの会社とも連携していますし、それ以外の海外の人たちとも日々打ち合わせを行い、コラボレーションに向けた話をしています。

——そうすると、日本の量子コンピューティングに取り組んでいる企業の中でも、グローバルやロードマップを考えつつ全方位にやっている、ほぼ唯一の存在といえるのですね。

そうですね。なかなかない取り組みだと思います。さらに言えば、当社では量子暗号や量子センシングのスタートアップにも出資しており、量子コンピューティングの世界を超えた取り組みになっております。

——今後数年で、急に量子技術が進展して実用化され、世の中が大きく変わるという感じではないですよね。タイムスケール的には、どういう感じでQXが普及していくとお考えですか?

基本的には10年以上かかる取り組みだと思っています。本当の量子の世界になるのは。ただ、それまでにも、NISQや量子アニーリング、疑似量子アルゴリズムみたいなもので、少しずつ社会に浸透させていくことはできると思います。そういったアプリケーションの実証はすでにやっております。ハードウェア的には、特に量子コンピュータも量子アニーリングマシンも気にしていなくて。出資している会社はみんな量子コンピュータですし。

——QXの応用範囲はとても幅広いと思いますが、分かりやすいところでいうと、どういうところから世の中を変えていけるとお考えですか?

目の前の話は分かりやすいと思うんですよ。物流が変わるとか、材料が変わるとか、金融が変わるとか、それは分かりやすいですしやってもいますが、本当にトランスフォーメーションという世界で考えたときには、まだこれだっていうのは分からないと思います。分からないのでいろいろやってみようというところで、我々は最初に地中から宇宙までという絵を描きました。これはシュレディンガーの猫があらゆるところにいるイメージなんですけど、うちの会社では地中から宇宙までの事業領域を持っていますので、そこを広大なテストフィールドとして使い倒して、ディスラプティブなアプリケーションを見付けていきたいと思っております。例えば、我々の会社でも面白いなと思うのは、社内で空飛ぶ車の事業開発をしている人がいるんですよね。そういう人と量子の話で盛り上がったときに、じゃあ10年先、20年先、量子コンピュータの世界ってどんな世界だろうと考えると、空飛ぶ車が大量に飛び回っているよねと。ではそういう世界があったら、その交通はどうなっているんだろうと考えると、空飛ぶ車の世界ってピンポイントで風が強かったら飛べないですし、電波が通じている状態じゃないと飛べないんですね。なぜかというと、時速200kmとかで空中を飛ぶので、速すぎて常に状況が把握できていないと飛べないんです。それを3次元で高速に制御するとなると、量子アニーリングマシンや量子コンピュータの出番だということで、昨年量子アニーリングマシンの実証をやって、国際会議でも発表しました。

——なるほど、空飛ぶ車がぶつからないようにとか、効率のいい経路を見付けるとかは、組合せの数がすごいことになるでしょうし、普通のコンピュータだと無理そうですね。

はい。こういうのは世界で誰もやっていないことなんですが、なぜこれを今やるかというと、これができるならこういうことをしたいとか、いろんなところからニーズが集まってくるんですね。そうやって集まってきた人達と、次の実証実験を今いくつか進めているものがあります。ビジョンを発信しながら、集まってきた人たちと一緒に実現していくという。これが、WhatとHowを同時に作るということですね。僕は技術もやれるので、こんなことを発信してやっています。

——素晴らしい取り組みだと思います。

実際、前職でも工場系で量子アニーリングマシンを世界で初めて使ったのは僕なんじゃないかなと思いますが、今や世界のいろんな人たちが工場系の実証をやっているわけじゃないですか。量子アニーリングマシンと量子コンピュータの実際のアプリケーションとして、最初のほうに工場での利用というのが出ますと。それは実際自分が描いたものが、いろんな人に共感されて、その世界ができたということだと思います。僕はそれを着実に事業にしていきたいし、工場だけではなく、もっと非連続なアプリケーションも生み出したいですし、そういう思いでやっていますが、それは現実になっていくと思います。この図のように、領域としてすべてをまるごと変える可能性がある、力があると。そういうことをしたくて、これ以外も物流とか金融とかスマートシティとか、そういったプロジェクトもやっています。

——QXプロジェクトを進める上で、こういう人材が欲しいとかはありますか?

実際、いろんな人が欲しいと思いますが、量子と事業の両方の領域が分かる人が欲しいですね。量子ネイティブが必要とかよく言われたりしますが、僕はそれだけじゃないと思っていて、欲しいのは量子バイリンガルです。田中宗先生がよく使われる言葉です。量子だけの人は、結局量子以外が分かる人が頑張って、その人の技術を事業に結びつけないといけないわけですが、それを繋げれる人があまりいないと感じます。

バックパッカーで63カ国を回った経験がキャリア観に大きく影響

——寺部さんの若い頃の話を聞かせてもらえますか?

僕は学生時代からバックパッカーをやっていて、全部で63カ国に行きました。1泊100円の相部屋に泊まるという貧乏旅行で、次の目的値も決めずに旅をしていたんですが、どの発展途上国に行っても、砂まみれの世界の中でも、日本の車が走っているんですね。もちろん中古車ですが、すごいなと思って。日本が作った技術がこんなに世の中の役に立っているんだと思って、自分も世界に通じるような仕事がしたいと思いました。

——それはとてもいい経験ですよね。日本だけにいると、そういう世界のことが分からないですから。

自分のキャリア観にも大きく影響していると思います。基本的にはバックパッカーなので、よくわからないところでも一人で突っ込んでいくことはよくやっています。

——目標、ゴールを教えてください。

私のゴールは明確で、自らが関わったテクノロジーで世界を変えるということが常にゴールです。最初はすごい技術を作れば世界が変わるはずと思って技術を作るキャリアを選びましたが、それだけじゃ何も変わらない。結局、それを後に繋げられないとダメだと思って、今度はWhatを創り出す仕事を頑張ってやっています。今は、これがゴールへ向かう道だと思っていますけどこれでダメだったら、たぶん次のことをやりだすと思います。新しいテクノロジーを作って、それで世界を変えるということを達成するまで、手段を変え続けていくんだろうなと思います。

——量子ICTフォーラムについてはいかがでしょうか。

僕は前職時代に量子ICTフォーラムができるタイミングで入って、また住友商事でも入ってますが、本当に素晴らしい先生方がいっぱいいると思います。当社は、量子ICTフォーラムをかなり活用しているほうだと思います。量子暗号については、佐々木雅英先生に個別にいろいろご指導いただいた事がありますし、ハードウェアについても時々川畑史郎先生にご指導頂いています。大変お忙しい方々であると思いますが、お人柄も素晴らしく、ついつい頼ってしまっています。田中宗先生は昔からの仲ですが、そういった先生方と気軽にお話できるのも、「いやあ、私も量子ICTフォーラムメンバーですからね」というのがあるからだと思います。何も繋がりがない人が押しかけているわけじゃないよという。

——量子分野を目指したい大学生や高校生、若い人に向けたメッセージをいただけますか。

そういう言葉を言うのはちょっと気が引けるんですよね。自分自身も別に成功していない、成功するために努力を続けている一人でしかなくて。ただ、僕は思いをもってやり続ける、その気持ちに素直になるということを心がけてきたので。強い思いがあれば、手段を変えてでもそれを達成しようと思いますよね。そうした思いがなければ、今目の前にある道を歩くことしかできないので。

——量子ICTフォーラムに期待することは?

今でも十分貴重な存在であると思いますが、更に気軽に色々な人とお話しできるとよいなと思っています。僕達の話でいうと、扱う領域も広いため、先に述べたような様々な先生たちとお話しさせて頂けて大変ありがたいのですが、やはり最近はオンラインベースですのでなかなかお会いしたことがない先生にいきなりメールするのは大変ですから。対面の量子ICTフォーラムのイベントがあり、そこでメンバーの方々と仲良くなって、そこで繋がった人脈でいろいろなものが巻き起こっていくみたいな感じがいいと思います。