三者三様の研究が大規模化への扉を開く
——はじめに、鈴木さんから現在の研究内容についてお聞かせください。
鈴木 私は、エラー訂正技術をどのように量子コンピュータに組み込むかといった、量子コンピュータの設計や開発に関する研究を行っています。量子コンピュータの開発というと、よく量子ビットを作る研究がフィーチャーされますが、実用化のためには「効率よく動かす仕組み」も大切です。
例えば、コインを裏表に並べて0か1かを管理するとしたら、1枚=1ビットとして、コイン10枚くらいであれば人間の手でも簡単に行えます。これを古典コンピュータで実用的に行うとすると、数ギガビットや数十ギガビットという計算が必要で、人間の手で1枚1枚管理できる範疇を超えていることは、容易に想像がつくと思います。
これは量子コンピュータでも同じで、現在の量子コンピュータの量子ビット数は、多くても100量子ビットを少し超える程度ですので、実験室で人の手による丁寧な調整を行えばまだ管理できます。しかし、古典コンピュータの計算速度を上回るためには、1メガ量子ビットから10メガ量子ビットが必要だとされています。そうなると、古典コンピュータが複雑な論理回路で整理されて動いているように、量子コンピュータにもその“量子版”に相当する仕組みが欠かせません。
たくさんの量子ビットをどのように制御するか、制御するためには、例えばどういったアルゴリズムや回路が必要なのか、といったことを研究しています。
——竹内さんはどのような研究をされていますか?
竹内 私は量子計算の検証や量子計算量理論の研究をしています。検証の概略をいうと、ちゃんと量子コンピュータとして振舞うことを、通常のコンピュータまたは小規模な量子デバイスを使ってチェックできるようにする技術です。宝石に例えるなら、ダイヤモンドの鑑定書にあたるものですね。その量子コンピュータ版を作っている、といえばイメージしやすいでしょうか。量子計算量理論に関しては、最近では、量子コンピュータの能力の限界がどこから来るのかを考える研究に注力しました。
量子計算のプロセスの1つに「測定」があります。測定は、量子ビットが古典ビットに変換される操作のこと。通常、古典ビットに変換された量子ビットは、元の量子ビットに戻らない性質を持っています。量子計算の中で唯一、測定は不可逆なプロセスなのです。これは、量子コンピュータの大規模化のためには、古典ビットに変換される前にエラー訂正をしなければならないことを意味しているとも言えます。しかし、仮に古典ビットから量子ビットに戻せるとしたら、つまり測定が可逆だとしたら、どれほど強力な計算能力を引き出せるのか。これを理論的に研究したわけです。
——どのようなユースケースが考えられるのでしょうか。
竹内 例えば、昨今ではクレジットカードなどに使われる暗号を、耐量子計算機暗号という量子コンピュータが実用化されても解読できない暗号に置き換えようという動きが活発になっています。もし量子コンピュータの測定が可逆であれば、耐量子計算機暗号を解読できることが、理論上は示せるのですね。つまり、「量子コンピュータは測定が不可逆だという制約があるため、耐量子計算機暗号は解読されず安全である」という安全性の起源を考える研究にもなるわけです。
このような「戻せないはずのものを戻せるとしたら」といった研究は、SF好きな自分の個性を生かせる分野なので、とても楽しいですね。
——遠藤さんの研究について教えてください。
遠藤 近年では、量子ビット数が50を超えるような比較的規模の大きい量子コンピュータデバイスが次々と登場しています。そうした量子コンピュータが、例えば化学計算や機械学習、量子シミュレーションなど、どういった用途で役立てられるのかを研究しています。
また、規模の大きな量子コンピュータは計算エラーも非常に大きいと予測されており、有意義な計算結果を取り出すには、いかにして計算エラーを抑制するかが重要です。量子コンピュータの計算エラーの原因は、主にノイズによって量子状態が壊れてしまうことです。量子状態は外部環境の影響などで非常に壊れやすい性質があるのですが、量子状態が壊れてしまっていても、量子コンピュータから正しい情報を引き出せるようにする技術が、量子エラー抑制です。
数万量子ビットという大規模な量子コンピュータが登場したときに、量子エラー抑制がどのように役立ち、量子アルゴリズムの性能が引き出せるのかという分野の研究にも力を注いでいます。
エラー訂正とエラー抑制を協力させる世界初のスキーム
——量子エラー抑制とはどういった技術か、詳しく教えてください。
遠藤 歴史的には、先に量子エラー訂正という技術があります。これは量子ビットを冗長に符号化することで、エラーが起きても復号して訂正できるようにしたものです。
例えば0か1かで計算するときに、0は000、1を111と表現するとしましょう。エラーが起きて000が010となっても「1は1個しかないので、もとはおそらく0だろう」と予想し、また000に戻してあげられるわけですね。さらに桁数を増やして冗長性を高めれば、エラー訂正の精度も上がっていきます。
一方、現在の量子コンピュータでは量子ビット数を簡単に増やすことができないため、簡単に冗長性を高めることができません。そこで、冗長性に頼らずにエラーを抑制できる技術が非常に重要となります。
方法はさまざまですが、量子エラー抑制は大まかに言えば、量子コンピュータからの出力結果を統計的に処理し、正しい結果を予測することで、計算結果からエラーを取り除くものです。統計的処理で予測するため冗長性が必要なく、量子ビット数の限られた現在の量子コンピュータに適した手法とされ、世界的にも盛んに研究されています。
これに関連する研究として、鈴木さんとの共著論文が2022年3月に出版されました。ものすごく簡単にいうと、エラー訂正とエラー抑制を協力させる技術についてです。例えるなら、リレーのように「エラー訂正でここまで頑張ったから、後はエラー抑制に任せた!」というイメージですね。本来求められる冗長性よりも、はるかに低いレベルで同じような量子計算が行えるといったことを、我々の論文で示すことができました。これは世界初のスキームです。
量子ならではの魅力に取り憑かれ、研究の世界へ
——量子コンピュータとの出会いや、現在の研究分野に進むきっかけを教えてください。
鈴木 もともとプログラミングが好きで、学生時代はアルバイトでシステム構築などもしていました。大学では量子計算に関する実験や理論の研究を行っており、量子コンピュータもその頃に知りましたが、当初はそれほど強い興味があったわけではありません。しかし、知れば知るほど衝撃を受けてしまったのです。
というのも、コンピュータといえば、1ギガ個のビットが小さなチップに収まっていて、キーボードを叩いて複雑なプログラムから計算を行う、という情景をまずイメージしますよね。しかし、量子コンピュータは想像よりずっと簡易な仕組みだったので「こんなに素朴な機械をコンピュータと呼んでいるなんて!」と驚いてしまって。それからどんどん興味が湧いてきました。
遠藤 私も最初から量子コンピュータに興味を持っていたわけではありません。ただ、子どもの頃から漠然と「難しいことにチャレンジしたい」という気持ちはありました。大学で量子コンピュータの要素技術に関わる実験や理論を研究するグループに入ったのも、「なんだか難しそう」と感じたからかもしれません(笑)。
しかし、そこで出会った量子力学は、私たちが持っている日常的な感覚と異なる法則を暴き出すような理論体系があり、とても興味を持ちました。例えば「人が月を見ていないとき、月は存在しないかもしれない」のような、実在性という概念があるのですが、こうした抽象的な考え方にも強く惹かれました。量子力学の実用性を考えた場合、ある種、究極的なゴールは量子コンピュータです。それから量子コンピュータの研究にのめり込んでいきました。
大学生のとき、実験の事実と理論の相違についてNTT物性科学基礎研究所の松崎雄一郎博士(現在は産業技術総合研究所所属)と議論する機会をいただき、その後もご指導を受けることとなりました。松崎先生はよく「最先端の研究をするなら大学に海外留学したらどうか」とおっしゃっていたため、私もオックスフォード大学への留学を決意。サイモン・ベンジャミン教授のもとで研究した経験が、今の研究分野につながっています。
竹内 私は勉強が好きではなかったのですが、量子力学には興味を持っていました。というのも、古典力学では、例えばボールを投げたらどういう運動をするか決定することができます。そういう、あらかじめすべてが決まっている考え方は、あまり好きではなかった。しかし、先ほど遠藤さんがおっしゃったように、量子力学は古典力学と違う考え方をすると聞いていたので、興味があったのです。大学で「どうせ勉強をするなら、面白そうな量子力学をやろう」と思ったのが、今の分野に進むきっかけですね。
中でも、特に自分の肌にあったのが、量子情報の分野でした。例えば「タイムトラベルができたら、どんなにすごい計算ができるか」など、子どもが考えそうなSFチックなことを、世界の優秀な研究者が大真面目に研究しているのです。この研究を仕事にできるのは魅力的だと、非常に強く感じました。
相互に作用し合い量子コンピュータの発展に貢献
——お互いの研究をどのように見ているのかお聞きしたいです。鈴木さんは竹内さんの研究をどうご覧になっていますか?
鈴木 竹内さんの研究分野は、それ自体がデバイスの開発に直結するものではないかもしれません。一方で、コンピュータは「こういう捉え方をすると、こういう風にも考えられるんだ」という、考え方の幅を広げる意味では、非常に価値のある取り組みだと思います。量子計算の面白さを深堀りできる研究として、トップクラスに魅力的な分野なのではないでしょうか。
竹内 一般的にまだ量子コンピュータへの理解が十分ではないため、いい量子アルゴリズムを作るにしても、どういう利点を活用すればいいか分からないことが多いのも実情です。そういう量子コンピュータに対する理解を深めるための道具として、量子計算量理論の研究は有用だと考えています。量子コンピュータが実用化され、有効活用しようという時代になった時に、役に立つ研究なのかなと思いますね。
鈴木 コンピュータを作る研究をしている人間からすると、仮に理論的に作れないものがあったとしても、「別のやり方なら作れるかもしれない」というふうに考えてしまい、どうしても諦めたり別の方法を模索したりする判断が遅くなってしまいます。しかし、例えば「これが作れるならタイムトラベルできるのと同じことだよ」という証明や指針があれば、1つの方法にこだわりすぎず、別の方向性にピボットしやすくなる。業界の大枠のダイレクションを決めるという意味でも、竹内さんの研究は大きく貢献していると思います。
——遠藤さんは鈴木さんの研究をどうご覧になりますか?
遠藤 量子コンピュータには、それを操作する古典的なアルゴリズムも非常に重要です。先ほどの量子エラー訂正においても、高い精度で計算機のどこでエラーが起きたか推定できる古典アルゴリズムは欠かせないものですし、実用化には量子コンピュータを制御する周辺機器の研究も必要です。
鈴木さんは量子コンピュータの理論だけにとどまらず、大規模な量子コンピュータを実現するために必要な要素研究まで、とても幅広く、しかもすべてハイレベルに行っていることに驚かされます。量子コンピュータの実現に関して、最も誠実に研究している稀有な研究者という印象ですね。
鈴木 大規模な量子コンピュータにおいて、たくさんの量子ビットのまとめ役になるのは、通常の古典コンピュータです。量子コンピュータの弱みをカバーするには、古典コンピュータをどう組み合わせるのがいいのか。まだまだ課題が多い分野なので、それをエンジニアリングするのは非常にエキサイティングですね。興味を持って取り組んでいるところです。
——遠藤さんの研究について、竹内さんはどう見ていますか?
竹内 遠藤さんの研究が面白いと思う理由は2つあります。1つが、私の研究テーマの土台を作ってくれていること。遠藤さんの研究は、理論家の中でもっとも量子コンピュータの実現に真摯に取り組んでいる分野だと思います。そうした研究者たちの進展がないと、“量子コンピュータの保証書を作る”という私の研究は、そもそも意味がなくなってしまいますから。
もう1つは、今の量子コンピュータは何ができて何ができないのか、あるいは、どこまでならできそうなのかといった線引きを与えてくれることです。量子コンピュータは理論上、古典コンピュータができることは全部できるので、すべて量子計算に置き換えればいい、と思われがちです。ただ、実際に量子コンピュータを活用するには、古典と量子の“いいところ”をかけ合わせ、補い合って計算する取り組みが欠かせません。実用化に向けた重要な研究分野ですね。
遠藤 計算ノイズを抑えるテクニックである量子エラー抑制では、ノイズの個数が増えるに従って、指数関数的に多くのリソースが必要になる。だけれども、実用的な状況や使いどころを考えれば、指数関数の“麓の領域”にも、便利に活用できるシチュエーションがたくさんあります。それを浮き彫りにして、気付きを与えられるような研究ができればうれしいです。
趣味にも全力投球
——多忙な毎日だと推察しますが、休日はどのように過ごされていますか?
竹内 ドライブや料理をすることが多いです。料理の腕前というと…チキン南蛮は人に振る舞えるレベルだと思います(笑)。新型コロナの影響で家から出ることができなかった時期に、めきめき上達しました。料理と片付けを恋人と分担しながらやっています。
竹内さんお手製のチキン南蛮。
遠藤 私も妻と2人で協力しながら日常を過ごしています。妻とはオックスフォードで出会い、2年前に結婚しました。休日は2人でカラオケに行くことも。十八番は、竹内まりやさんの「プラスティック・ラヴ」です。採点機能で毎回90点以上は出ますね。趣味はピアノやベースといった楽器演奏ですが、最近はあまり弾けていません。学生時代はサークル活動でバンドを組み、ファンクやフュージョンを演奏していました。バンド名は“ドヤ顔するバンド”という意味で「ドヤバン」だったかな(笑)。
鈴木 私は最近だと、音楽や音声のデータ分析に凝っていました。最初は作曲に興味があったのですが、次第にサウンドプログラミングなどの技術的な話に熱が入ってしまい、結果的にメロディーは一切書かず、音声処理のソースコードばかり書くことに…(笑)。コロナ禍になる前は「技術書典」という技術書の即売会に参加して、色々な人と技術を通じた交流を楽しんでいました。
遠藤 鈴木さんはレベルが高すぎて、すでに趣味の範疇を超えていますね。
——どのような発表だったのか教えていただけますか?
鈴木 そのときに話したのは、“ジャケ買い”についてですね。CDやレコードのジャケットを見て「この曲は良さそうだ」と判断した経験のある人は多いと思いますが、音楽を聴いていないのに、なぜそう思えるのでしょうか。そこで、ある特定の音楽を聴きたい人の購買意欲をかき立てるジャケットはどういうものかについて、技術的に考察して発表したのです。また、画像診断の技術を使って、ジャケットから自動的に音楽ジャンルを判断するシステムも作りました。
竹内 趣味ではなく、それを専門に研究している人もいると思いますよ(笑)。
今後の量子人材に向けてのメッセージ
――最後に、量子情報の世界に興味を持つ「未来の研究者」に向けてメッセージをお願いします。
遠藤 量子コンピュータの研究は、アイデア勝負でもあります。まだ技術と理論の狭間にあるような状態なので、自分のアイデアやアプローチ次第で、新しい分野を創出して成長させることも可能です。常識や先入観にとらわれず、積極的にチャレンジしてもらえるといいですね。
竹内 そういう意味では、自分が思い付きもしなかったアイデアを他の人の論文で知ることができるのが、研究の面白さでもあります。たくさんの人が関わって、それぞれの個性を活かした研究をしてほしいと思います。一方で、複数の領域にまたがった研究は、興味深いものが多い気がします。量子情報だけではなく、他の分野にも目を向けて、量子情報+他の分野の知識を用いて研究することも大切ではないでしょうか。
鈴木 おそらく、初めて量子コンピュータを触った人は「すごいと聞いていたのに、こんなものか」と、ほぼ全員が思われるかもしれません。例えば、プログラムが得意な人は「量子コンピュータには、コンパイラや最適化の方法が全然ない」と思うでしょうし、計算機のアーキテクチャやアルゴリズムを考えている人にとっては「こんな原始的なもので有用なことができるのか」と感じるでしょう。どうしても失望を抱く点はあると思うのですね。
私から見ると、その失望は、その人がもっとも量子コンピュータの発展に貢献できる点です。かつ、我々がもっとも求めている点でもあります。失望を乗り越えて足りない部分を作れば、それが世界で初めてのアプリケーションになり、量子コンピュータのスタンダードになっていく可能性がある。今まさに、発展途上の分野だからこそ、あらゆるところに活躍の場が広がっていると思うのです。この分野に新しく挑戦する人たちを、我々もできるかぎり手助けできるよう、努めていきたいと思います。