量子コンピュータ技術推進委員会若手インタビュー 技術と経営を繋ぐコンサル経験が、量子コンピュータの実用化に結びつけばこれほど嬉しいことはない

株式会社QunaSys 最高執行責任者(chief operational officer, COO) 松岡 智代

―近年、量子コンピュータを取り巻く環境は大きく変化している。

最前線で研究を進める研究者は、今の世界をどう見て、未来をどう作り上げていくのか。本連載では、日本で量子コンピュータ技術の研究開発において活躍する若手研究者の声から、量子コンピュータにまつわる様々な視点を届けていく。

株式会社 QunaSys(キュナシス)は、量子コンピュータ向けアルゴリズム・ソフトウェア開発に強みを持つ大学発スタートアップである。QunaSysが目指すのは、今まで裏舞台で社会を支えてきた物理学(量子物理学)を表舞台に引き出すこと。物理学の研究成果を社会に役立つかたちで早急に実用化させ、そこで得られた利益が研究・教育の現場に還元されることで、物理学が社会全体の発展を牽引していくようなサイクルを実現させるべく、日々新しい技術を生み出し続けている。ビジョン実現の鍵となるのが、技術課題を解決する基礎研究と、社会・産業に役立つエンジニアリングの橋渡しだ。両者の結びつけを強固にするための様々な取り組みを行ってきたQunaSysが、2020年にスタートさせたのが、量子コンピュータの基礎から最先端までを学び、実応用の可能性を発掘するコミュニティ『QPARC(キューパーク)』。コミュニティ発足の立役者であり、QunaSysのCOOを務める松岡智代氏に、『QPARC』の意義や活動内容、そしてQunaSysの今後の展望について話を伺った。

(聞き手:加藤俊 /構成:佐野友美)

松岡 智代(まつおか・ともよ)

株式会社QunaSys 最高執行責任者(chief operational officer, COO)
2004〜2008年 京都大学工学部工業化学科
2008〜2013年 京都大学工学研究科材料化学専攻 修士-博士課程(博士号取得)
大学院生時代の専門は、材料科学。金ナノ粒子合成の研究でPh.Dを取得。
2013〜2019年 アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社
素材業界のイノベーション創出、新規事業開拓をテーマとして、国内外の多くの企業のプロジェクトに従事。化学・素材・自動車を中心とした製造業に対する新規事業戦略/中長期戦略の策定支援を行う。その他、一般的なデューデリジェンスや官公庁案件、大学の産学連携組織を対象とした案件等にも携わる。
2020年〜 株式会社QunaSys
量子コンピュータソフトウェア開発ベンチャーにて、事業開拓やエコシステム形成に奮闘。

材料業界に久々に「色気」のあるテーマが来た

——量子コンピュータとの出会いについて教えてください。

量子コンピュータと出会ったのは2018年、私がまだ株式会社QunaSysに転職する前、アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社(以後:ADL)で働いていた頃の話です。当時の私はADLで新規事業創出やイノベーション・マネジメントを行っていたのですが、ある会社のプロジェクトで量子コンピュータの話が持ち上がったのです。プロジェクト担当者として量子コンピュータ開発の現状を理解する必要があったため、国内の量子ベンチャー企業にヒアリングを行いました。その1社が、量子コンピュータの実応用に向けてソフトウェア開発を行っているQunaSysです。今でこそ40名近くの社員が所属していますが、当時は楊天任(現CEO)と御手洗光祐(現CSO, 兼務)の2名体制でした。本郷のオフィスに行ったときは、「先進的な技術研究を行うスタートアップ」という言葉が想起させる華やかな雰囲気がまるでなく、「地に足のついた会社だな」と感じたことを覚えています。CEOの楊の話から、アカデミズムを起点に地道な研究を積み上げる実直さを感じたのも印象に残っていますね。結局、ヒアリングが終了した頃には量子コンピュータにもQunaSysにも興味津々になっていました。

——2018年に量子コンピュータとQunaSysと出会い、その後松岡さんが入社したのは2020年ですよね。

はい、しばらくはADLのコンサルタントとしてQunaSysのスタートアップ支援を行っていました。その後、QunaSysが拡大フェーズに入った段階で入社のお誘いをいただきました。

——QunaSysへの入社の理由は何だったのでしょう?

理由は3つあります。1つ目は、先ほど申し上げた通り、QunaSysの実直で地に足がついたスタンスに惹かれたことです。2つ目は、私自身がそろそろ実業に携わりたいと感じていたタイミングであったことです。コンサルタントとしての7年間のキャリアをQunaSysで活かしたいと思いました。そして3つ目は、量子コンピュータのビジネス応用領域として「相性」が良いと期待される領域が、材料業界であることです。私は大学院生時代に材料科学を専門としていたほど興味を持つ分野なのですが、世間的にはあまり陽の目を見ない領域だと思います。ですから、「世界を代表する超大企業がこぞって量子コンピュータを用いた材料のシミュレーションを行っている」というのは非常に胸が熱くなることなのです。材料というニッチな分野に、久々に色気のあるテーマが来た!と(笑)。量子コンピュータが提供する高度な計算技術がうまく活用できれば、電池や触媒、エネルギー変換材料、製薬などにおいて、最適な組成・構造を探す時間を大幅に短縮しながら、優位性の高い材料を見つけ出すことができるのではないかと言われています。材料・素材業界にとって量子コンピュータの早期実用化は、開発の効率化や新市場の創出というメリットをもたらす希望の星です。もちろん、実用化までの道のりは決して平坦ではありません。各種素材メーカーが量子コンピュータを使いこなす段階までにはクリアすべき障壁がいくつもありますが、突破口の一つはアカデミアの技術開発と産業界の実践の橋渡しだと思っています。コンサルタントとして技術と経営を繋いできた今までの私の経験が、材料業界での量子コンピュータの早期実用化に貢献できればこれほど嬉しいことはないので、QunaSysへの入社を決めました。

量子コンピュータの活用を会議室の妄想で終わらせないために

——QunaSysに入社後はどのような業務を担当されたのでしょう?

入社時からポジションはCOOなので、会社のオペレーション全体を管理しています。量子技術を事業につなげる事業開発も私の担当です。『QPARC(キューパーク)』という、量子コンピュータを活用して新しい材料開発の可能性を発掘するコミュニティの立ち上げも行いました。

——『QPARC』について詳しくお聞かせください。

『QPARC』は、量子コンピュータを活用して新しい材料開発の可能性を発掘するコミュニティです。コミュニティの目的は、①スキルの習得と、②実応用の探索・発掘の2つです。①については、材料シミュレーションの実践スキルを身につけるための勉強会や、海外の量子コンピュータスタートアップを招致した交流会、大学教員や企業研究者による基礎理論の講義、手計算演習やプログラミングの演習を通して、量子コンピュータや量子化学計算の基礎を学びます。②については、今後の業界の方向性や役割分担などを議論するディスカッションや、QunaSysが開発した量子化学計算クラウド『Qamuy(カムイ)』を使用して実際の産業応用に向けたユースケース探索などを行っています。量子コンピュータの活用を会議室の妄想で終わらせることなく、実際に手を動かし成果を生み出すコミュニティを形成することで、早期実用化の後押しを狙っています。

——『QPARC』はどのような人を対象としているのでしょうか?

材料開発の第一線で活躍する企業研究者を主な対象と想定しています。計算技術者やマネージャー職の方々の参加が多いですね。約50社の国内企業がコミュニティメンバーとして参画してくださっています。

——『QPARC』発足の経緯を教えてください。

CEOの楊が営業に行くと、どの企業でも「そもそも量子コンピュータとは?」という話になったそうなのです。複雑な量子コンピュータの技術を体系的かつ実践的に伝えることができれば業界全体の発展に繋がるはず、という期待から『QPARC』は始まりました。同時に、量子化学計算のパワーを産業界に知ってもらいたいという私たちの願いも込められています。今のところ量子化学計算の市場はグローバルでわずか300億円程度と言われています。量子コンピュータ実用化の目安とされる2030年までに、ユーザーの醸成を行っておかなければ、せっかくの技術を有効活用することができません。そうした啓蒙の意味も含めて『QPARC』の運営を行っています。

QunaSysの2大ソリューション『Qamuy』&『共同研究プロジェクト』

——『QPARC』では、『Qamuy』を使用して実際の産業応用に向けたユースケース探索を行っているということですが、『Qamuy』についても教えていただけますか?

『Qamuy』は、専門知識が無くても、量子アルゴリズムを用いた量子化学計算を行うことを可能にするクラウドサービスです。近い将来の量子デバイスで実行可能な最先端の量子化学アルゴリズムが実装されていますが、化学者にとって使いやすいインターフェースとなっているため、誰でも手軽に量子コンピュータの実機やシミュレータで量子化学計算アルゴリズムを実行して様々な物性値を計算することができます。量子コンピュータの「民主化」ツールと言える『Qamuy』は、「共同研究プロジェクト」と並ぶQunaSysの主力ソリューションとなっています。

——共同研究プロジェクトはどのように行っているのでしょう?

各企業の抱える課題を量子コンピュータで解決するための研究開発を支援しています。ENEOSとの量子コンピュータによる計算化学手法の共同開発を例にご説明しましょう。同社は、再生可能エネルギー利用の効率化のために水素をメチルシクロヘキサンに変換して運ぶ技術を開発しています。このためのキーテクノロジーである触媒開発には遷移状態の振動解析が必要であり、電子相関を考慮した非常に複雑な計算が必須です。そこで同社が注目したのが、高い計算能力を有する量子コンピューティングでした。しかし、未だ発展途上段階にある量子コンピューティングでは、今すぐ大規模で複雑な計算を行うことは困難です。そのため、まずはMicrosoft Azure Quantumを用いて小さな分子で計算を行うことからプロジェクトがスタートしました。QunaSysの化学エンジニアが書いたアルゴリズムをENEOSのエンジニアが評価するというサイクルを繰り返すことで、量子コンピュータ上で高精度な振動解析が実行可能かどうかを検証していきました。その結果、量子コンピュータ上で実行した計算は、古典コンピュータのシミュレーションと同じ結果を示すことが実証され、Microsoft Azure Quantumを用いた量子コンピュータ上の振動解析が可能であることを示せたのです。この結果は、研究開発の大幅な加速や新製品探索の可能性に繋がる有意義なものでした。こうした取り組みの他にも、共同開発プロジェクトでは、現状の量子コンピュータやシミュレータで可能なサイズの問題のベンチマークや、必要な計算リソースの見積もり、適切なワークフローの構築、新規アルゴリズムの開発などを各企業のニーズに合わせて進めていきます。

——各企業の抱える課題は一筋縄ではいかないと思いますが、なぜQunaSysでは高いレベルの共同研究が可能なのでしょう?

共同研究において新計算手法の考案や改良を行うためには、量子情報や量子化学の基礎理論を中心とした分野を深く理解する必要があります。そのため、高い専門性を持つ研究メンバーを多く抱えていることは、満足度の高い共同研究ができる理由のひとつだと思います。

——QunaSysに優秀な技術者が多く集まる秘密はどこにあるのですか?

QunaSysは、強固なアカデミックのネットワークを基盤に生まれたスタートアップです。過去4年間で30本の論文を発表しており、アカデミック視点で見てもレベルの高いソリューションを創造できるケイパビリティを有しています。その研究力がブランドとなり、より優秀な人材が集まるのだと思います。

真面目なベンチャーが成長できる社会であってほしい

——今後、松岡さんはどんなことを実現したいですか?

一つ目は先ほどもお話した通り、材料メーカーが量子コンピュータを自在に使いこなせる未来をつくることです。そして二つ目は、物理を仕事にしやすい環境をつくることです。私はQunaSysを初めて知ったとき、こういう会社が社会的に認められて大きくなるのが大事だと強く思いました。口下手でも地味でも、とにかく真面目に実直に、社会貢献性・専門性の高い事業に取り組むスタートアップが大きくなれる社会であってほしいのです。QunaSysが道を示すことで、小学生も将来は物理を仕事にして、社会に役立てたいと思ってくれるかもしれません。未来を担う若い人材にはぜひ量子に興味を持ってほしいです。

——どんな人材が今後活躍すると思いますか?

量子分野の研究は高度な技術と知識を必要とするため、どうしても論理的思考が先行し、研究者の力だけでは自由でユニークな発想までなかなか辿り着けない傾向があると感じています。研究アイデアは生まれても、事業アイデアが生まれないのでは実用化は厳しいので、「ビジネスの発想力に自信がある!」という方の参入をぜひお待ちしています。

——松岡さんのお話を伺っていると、非常に仕事を楽しんでいるのが伝わってきます。

そうですね、私は人生で何より楽しいのは仕事だと思っています。真剣勝負の面白さはコンサル時代も今も変わりませんが、QunaSysに入社してからはマネジメント職のやりがいをより強く感じることができています。コンサル時代は、他人を活躍させるために自分の能力を使うというマネジメントに困難を感じていました。自分がプレイヤーからマネジメントになったので、メンバーの足りない点ばかりに目がいってしまい、部下の自主性を尊重した仕事ができていなかったのです。しかし、QunaSysのプレイヤーは研究者たちです。私はどうしたってプレイヤーになることはできないので、QunaSysではとても自然なかたちでマネジメント職をすることができ、大きな仕事や難しい仕事を達成することができています。

——満足のいく転職だったのですね。

そうですね。転職したことで、時間の余裕も手に入れることができました。今は基本的にリモートワークで、週3日ほどしか出社していないので、自宅でゆっくり料理を楽しむ時間をつくれています。

(上)飲んだビールは、社内Slackの「ビール部」で自慢するそうです。(下)美味しそうな鯛の刺身。提供:松岡さん

——羨ましい限りです。それでは最後に量子ICTフォーラムに期待することを教えてください。

専門性の高い人材の育成と、産業界の参入を活性化させるコンテンツ作りの2つです。まず前者については、多様で個別性の強い量子ICT分野では知識の技術の浸透度にばらつきが生じやすいと感じています。日本が国際的な人材獲得競争に遅れをとらないためにも、学生や研究開発に携わる若手研究者等を対象に、最先端の量子技術に関する知識や技術を習得する機会を充実させ、量子技術関連分野に精通した人材層の質と厚みを高めることが求められています。量子ICTフォーラム主催の基礎講座や研究会などの人材育成の取り組みは、量子技術の発展を後押しする貴重なチャンスですので、今後の継続的な取り組みを期待しております。

また、後者についてはQunaSysも「QPARC」を通して産業界への啓蒙などに尽力している最中です。量子技術を産業に生かし、社会経済システム全体に取り入れていくためには、量子技術の現状と可能性を理解した各種企業との連携が欠かせません。連携のための情報共有は容易ではないと思いますが、例えば量子技術を分かりやすく伝える動画コンテンツなどの作成なども面白いのではないでしょうか。人材育成も産業界との連携も、量子技術の発展と普及の基盤となる重要な取り組みです。産学官の新たなビジネスモデルを創出する場である量子ICTフォーラムだからこそ意義のある発信や活動がありますので今後の取り組みを期待するとともに、量子技術業界を盛り上げるべく私たちQunaSysも頑張りますので、引き続きよろしくお願い致しますとお伝えしたいです。